神さまとはどんな方ですか


いくつかの聖書の言葉を紹介していきます。

 

わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。

ヨハネの第一の手紙 4:16 口語訳

~神さまは愛です。神さまは一人ひとりに「あなたを愛している」と呼びかけてくださる方。もし、「自分はつまらない存在だ」と言っていたら、それは自分が作り出した根拠のない声です。神様の「あなたを愛している」という声に耳をすますことができますように。

 

もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、

その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。

ヨハネの第一の手紙 1:9 口語訳

~過去に友達や隣人を傷つけた言葉や、悲しませることをしていたら、神様の前に行き、ありのままの罪を告白しましょう。完璧な人はいなく、誰もが失敗や過ちを犯してしまいます。しかし、神様に「ごめんなさい」といえば、神さまはゆるしてくださる方。神様のゆるしこそ希望の源なのです。

 

主、主、あわれみあり、

恵みあり、怒ることおそく、

いつくしみと、まこととの豊かなる神

出エジプト記 34:6 口語訳

~もう駄目だと思った時、神さまは道を開いてくださいます。いつくしみの具体化はゆるしです。神さまはゆるしてくださり、新しい道を開いてくださるのです。

参考サイト

教皇フランシスコ、使徒的書簡「あわれみあるかたと、あわれな女」

https://www.cbcj.catholic.jp/2017/02/13/12254/

 

主に感謝せよ、主は恵みふかく、 そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

歴代誌上 16:34 口語訳

~恵みとは、受けるに値しないにもかかわらずそれでも与えられるもの。神さまは恵み深い、と聖書に書いています。私たちは特別なことはできなくても、神さまは「あなたがいてくれて、私は嬉しい」と、私たちの存在を喜んでくださる方。なにがあっても神さまに愛されている喜びをもって、神様に感謝することができますように。

 

「神こそ私の避難所、また安全地帯です。

この神への信頼を失うことはありません。」

詩篇 91:2 リビングバイブル

~神さまは私たちの避難所。困ったら、神さまに逃げましょう。神様は、あなたを守ってくれる、天のお父さんです。

 

あなたがたが生きている間、 年をとり、頭が白くなっても、

わたしはあなたがたの神となる。 わたしがあなたがたを造ったのだから、

あなたがたを背負い、救い出そう。

イザヤ書 46:4 

~神様は、わたしたちを背負ってくださいます。私はしんどいとき、タクシーで病院に行きます。

しんどいときは、神さまに甘えて背負われましょう。神さまに任せていれば、大丈夫です。

 

イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、「子よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。

マルコによる福音書 2:5 口語訳

~完璧な人はいません。倒れることがあります。神様はそれでも、

新しくやり直す力を与えてくださる方。神さまは、わたしたちをゆるす力がある方です。

 

花婿が花嫁を喜ぶように 

あなたの神はあなたを喜ばれる。

イザヤ書 62:5 口語訳

~神様は、あなたが生きていることを喜んでくださる方。悲しみだけに視線をむけそうなとき、振り返って神様の愛という光を見つめことができますように。

 

わたしのうちに思い煩いの満ちるとき、

あなたの慰めはわが魂を喜ばせます。

詩篇 94:19 口語訳

~思い煩いでいっぱいなとき、不安で仕方なくなります。重たい荷物をおろし、ゆっくり深呼吸してみましょう。神さまは私たちを慰めてくださる方。神様の慰めは「あなたは一人じゃないよ」ということです。パウロは、「あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。」(2コリント人 1:3 口語訳)といっています。慰めを表すギリシャ語は、「パラクレーシス」(παράκλησις)は、文字通り訳すと、「傍らに呼び寄せる」という意味があります。イエスは、しっかり私たちの手を握っていてくださるのです。聖書の慰めは、苦難を耐えれる力を神さまが与えてくださるということです。一人では耐えられない苦しみも、イエスが共にいれば、耐えられる苦しみに変わるのです。

 

わたしはだれの死をも喜ばない。

お前たちは立ち帰って、生きよ」と主なる神は言われる。

エゼキエル書 18:32 新共同訳

~神さまは「生きよ!」と呼びかけてくださるのです。神様は、私たちが生きるのを喜んでくださる方。欠点があるにもかかわらず、神様の愛で包んでくださるのです。自分の犯した過ちに支配される必要はありません。イエスに立ち返るとき一切の罪をゆるしてくださるのです。

 

あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。

それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。

決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。

エペソ人への手紙 2:8‭-‬9 口語訳

~正統的なユダヤ人たちは、613の掟を守らなければなりませんでした。そのうえ、様々な「あなたは~してはいけない」と宗教の掟で縛り、掟を守られない人を罪人と定めていました。自分の力で掟を守ったり、良い行いで神さまに救われることはないのです。聖書は、ただ神様のところに帰り、神様に立ち返ることによって安息と救いがあることを伝えています。特別なことができないからといって、自分を否定することはないのです。ただ、神様の愛に心を開くだけでよいのです。

 

わたしは安らかに伏し、また眠ります。

主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、 ただあなただけです。

詩篇 4:8 口語訳

 

わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。

わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。

あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。

ヨハネによる福音書 14:27 口語訳

~神様は、安息を与えてくださいます。イエスは、私のところにきなさい、と言われました。もっと成長してからとか、変わってからきなさいとは、言われませんでした。あなたのまま、イエスは受け止めてくださり、安息を与えてくださるのです。

片柳弘史神父は次のように言います。

気にかかっていることを神さまにすっかり委ねてしまうことだと思います。自分の将来のこと、だれかへの批判や復讐など、すべてを神さまの手に委ねてしまうのです。「わたしの将来をあなたの手に委ねます」、「あの人のことはあなたの手に委ねます」、「裁きはあなたの手に委ねます」、そう祈っているうちに、心のおしゃべりは1つひとつ消えていくでしょう。片柳弘史著『祈りへの旅立ち』(ドン・ボスコ社)

 

わたしは主を愛する。 主はわが声と、わが願いとを聞かれたからである。

主はわたしに耳を傾けられたので、 わたしは生きるかぎり主を呼びまつるであろう。

詩篇 116:1‭-‬2 口語訳

~自分の気持ちを、ただ聞いて欲しいときがあります。神様は、私たちの気持ちに耳を傾けてくださる方。

祈りは24時間、どこでもできます。つらいときは、神さまに話を聞いてもらいましょう。

片柳弘史神父は、マザー・テレサの言葉を引用して次のように言っています。

 

「『あなたを愛している』

というイエスの言葉を聞かずに、

たとえ1日たりとも

生きながらえることはできません。

体が呼吸を必要とするくらいに、

わたしたちの魂はその呼びかけを

必要としているのです。」

どんな祈りをするにしても、「あなたを愛している」というイエスの言葉に耳を傾けなさいとマザーは言います。呼吸して酸素を取り入れなければ体が死んでしまうように、祈りの中で神の愛を取り入れなければ、わたしたちの魂は死んでしまう。1日たりとも生きながらえることはできない、とさえ言うのです。深い祈りの中で、神さまは必ずわたしたちに「あなたを愛している」と語りかけてくださいます。神さまは愛なので、愛以外のメッセージを語ることはありえません。・・・祈りとは「魂の深呼吸」だといってもいいでしょう。体のすみずみまで行きわたった神の愛は、わたしたちを生きる力で満たしてくれます。

片柳弘史著『祈りへの旅立ち』(ドン・ボスコ社)

 

わたしにとって、あなたは高価で尊いからだ。

わたしはあなたを愛している。

イザヤ書 43:4 リビングバイブル

~神様の目からみた一人ひとりは、生きているだけで尊く大切な存在。自分の固定観念は、もしかして、「自分はつまらない存在」と言っているかもしれません。そんなときは、自分の固定観念を少しずつ捨て、神様の声を優先してみませんか。神様は、あなたをあなたとして愛する方。あなたの代わりはどこにもいないのです。

 

イエスは彼らに言われた、

「わたしが命のパンである。

わたしに来る者は決して飢えることがなく、

わたしを信じる者は決してかわくことがない。

ヨハネによる福音書 6:35 口語訳

~「自分なんてつまらない人間なんだ」と思ったときは、心が飢えているかもしれません。

イエス様がくださるパンを食べ、栄養を補給しましょう。心の飢えは、神さまが満たしてくださいます。

 

わたしが疲れた魂を飽き足らせ、

すべて悩んでいる魂を慰めるからである。

エレミヤ書 31:25 口語訳

~疲れた魂を慰めてくださるのは、天のお父さん。

神様のそばにいくまでは、人の心は休まらないのです。

 

主は羊飼い、

わたしには何も欠けることがない。

詩編 23:1 新共同訳

~主(神)はわたしたちの羊飼い。これからも、道を創ってくださり、導いてくださる方。

「神様に委ねていれば、足りないものはなにもない。神様の愛だけで十分だ」と感謝し、

身軽になってイエス様についてゆけますように。羊飼いに守られて、

「私は愛されている」と安心して眠ることができますように。