クリスチャンと自由について


自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。

だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。

ガラテヤ人への手紙 5:1 口語訳

 

主は霊である。

そして、主の霊のあるところには、

自由がある。

コリント人への第二の手紙 3:17 口語訳

 

真理は、

あなたがたに自由を得させるであろう。

ヨハネによる福音書 8:32 口語訳


片柳神父は、マザー・テレサの言葉を引用して次のように言っています。


「生きたイエスとの親密な交わりを妨げるものすべてに注意しなさい。悪魔は人生の痛みや、わたしたち自身の過ちを利用しようとしています。イエスが自分を愛しているなんてありえないという考えが、あなたたちに忍びよろうとしています。」

人間を神の愛から遠ざけるために、

「悪魔は人生の痛みや、わたしたち自身の過ちを利用しようとしている」とマザーは言います。いったいどういうことでしょう。

たとえば、望みの仕事につくことができなかったり、思いがけない病気で人生の計画が大きく狂ったり、愛する人を失ったり、そのような人生の痛みを味わうとき、わたしたちはつい「もうだめだ。どうせわたしなんか」と考えてしまいがちです。「わたしの人生にはもう意味がない」、「わたしなんかどうでもいい」と勝手に自分で決めつけて自暴自棄になり、どんどん神の愛から遠ざかっていくなら、それはまったく悪魔の思うつぼです。・・・。

「自分は愛に値しないと思っているときですら、イエスはあなたたちを愛しているのです。もしほかの人びとから受け入れられないときも、自分で自分を受け入れられないときでも、イエスはいつでもあなたたちを受け入れるのです。」

と、マザーは言います。どれほど苦しい状況に追い込まれようと、どれほど惨めな姿になろうと、イエスはありのままのわたしたちを愛している、そのことを忘れてはならない。悪魔の罠にはまって、自分で自分を滅ぼしてはならないというのです。・・・。

マザーは、そんな弱さを抱えているわたしたちに次のように語ります。

「わたしの子どもたち、

イエスから愛されるために、

自分と違ったものになる

必要はないのですよ。

信じなさい、

あなたたちはイエスにとって

かけがえのないものなのです。」

イエスから愛されるために、実際の自分より優れた者になる必要などまったくありません。イエスは、弱くて不完全なわたしたちを、ありのまま、無条件に愛してくださる方なのです。・・・。

「ありのままの自分を受け入れる」というと、「努力しなくてもいいのか」と思う人がいるかもしれませんが、それは違います。むしろ逆に、ありのままの自分の不完全さ、欠点を認められるからこそ、それを克服するために努力できるのです。

片柳弘史著『祈りへの旅立ち』(ドン・ボスコ社)

 

私は、頭の中で繰り返し否定的な観念が頭から離れなく、頭にうかんでくる症状があります。その否定的な言葉が浮かんだら、私は薬も飲みますが、「私は神さまに愛されている」と思います。すると不思議に、強迫観念をブロックすることができます。一度自分を否定すると、ますます自分を否定してしまいます。それをブロックするのが、神様の愛の働きです。聖書には、

 

神は、すべての人々に

命と息と万物とを与え、

使徒行伝 17:25 口語訳

と書いてあります。すべての人々に命を与えられているのは神さまです。一人ひとりは、生きているだけで、かぎりなく大切な存在。神さまは「今のあなたではだめだ」とはいいません。「私は欠点があるから、隠れていよう。もっと成長してから、神様の近くにいこう」と思わなくてよいのです。イエス様にとって、今のあなたがかけがえのない神様の子ども。神さまを信じることは不自由になるのではなく、むしろ余計なものがなくなり、自由になることだと思います。