野の花


自分らしく

恐れにとらわれると、個性を忘れがちになってしまいます。神さまに造られた人間は、神様の愛に触れた時自分らしさと出会います。野に咲く花や懸命に生きる鳥のように、神様の手にゆだねて自分らしく今日も生きてゆけますように

 

立ち止まる

人は、前へ進むことだけではなく、後ろにさがったり、立ち止まったりする時があります。そのほうが、周りの風景をじっくり観賞できます。小さくて弱いけれど精一杯に咲く花の美しさに心が洗われ、空を飛ぶ鳥たちの鳴き声に癒されます。

 

自然体

生きるのに疲れた時、休みましょう。休んで、時間があるときに、野の花や空の鳥たちに目をとめるとき、全ての命は生かされてる存在であることに気づきます。どんな命も比較できなく、生かされてる命。力を抜き、自然体で今日も生きられますように。


桜の蕾をみつけました。蕾は「自分のペースで咲くよ」と言っている気がしました。一年中咲くエネルギーは桜にはなく、春だけに花を咲かせます。人も、どこかで手を休めて、よく遊び、ゆっくり休む時間が必要だと思いました。体を壊してしまう前に、自分の心と体を大切にして生きたいです。 


背丈
 背丈が違う菜の花を見つけました。私は他人と比べて劣っていると、劣等感をもってしまいます。しかし小さな菜の花は、「私は私。神さまに造られた自分で十分だよ。あなたもあなたでいいんだよ」と言っている気がしました。背を高くしようと背伸びするのではなく、ありのままの私で生きてゆきたいです。
 
菜の花
菜の花を見つけました。神さまは、1本の花さえも、美しくデザインされました。私はできないことが多く、自分はダメだと思う時があります。しかし菜の花は「今のあなたで十分じゃない」と言ってくれている気がしました。自分を嫌いになる時がありますが、ありのままの自分を赦して生きてゆきたいです。
タンポポの美しさ
 タンポポにはタンポポの美しさが、バラにはバラの美しさがあります。一人ひとりにも、それぞれ美しさがあると思います。神さまが喜ぶのは「私はわたしで良いんだ。私は今のままで愛されているんだ」と、自分の命を喜ぶことではないでしょうか。あなたはあなただから素晴らしい。私はそう思います。

タンポポの綿毛
タンポポの綿毛を見つけました。タンポポは、「大切なものは、少しだけ。あなたがいるだけで十分だよ」と言っている気がしました。「あれもなければ、これもなければ」と心配してしまう私。しかし、なにもなくても「私がいるだけで十分」と自分を大切にし、今日も助けあって生きてゆきたいです。
 
タンポポ
タンポポを見つけました。タンポポは黄色。「あなたも、あなたの色でいいんだよ」と言っているような気がしました。私は自分ができないことが多く、嫌いになることがあります。でも、タンポポを見ていたら「今の私で大丈夫かも?」と思えてきました。自分の花を咲かせて、今日もすごしてゆきたいです。

白いチューリップ
病院の庭で、白いチューリップが咲いていました。花は「赤色や黄色のチューリップになれないけれど、私は私」と自分の色を喜んでいるように見えました。私は自分を「ダメな存在」とたまに思いこんでしまいます。しかし白いチューリップから、「君は君でいいんだよ」とエールをもらった気がしました。 

みんな違って素敵だね
チューリップやネモフィラの葉を見つけました。花ごとに葉の形が違いました。「みんな違うけれど、みんな素敵だよ」と葉っぱ達は、自分を喜んでいる気がしました。つい私は「こうでなければならない」と、相手と同じでなければと焦ってしまいます。神さまに造られた、私の姿ままで生きてゆきたいです。 

ツクシ
ツクシを見つけました。カラフルな花はつけないけど「飾らなくても、私は私のままで十分」と言っている気がしました。それに比べて、他の誰かに無理をしてなろうとする私。でもツクシを見ていたら「変わらなくても、私でよいのかも?」と勇気をもらいました。等身大な私で今日も生きてゆきたいです。

アジサイの蕾
アジサイの蕾を見つけました。セカセカしている私に「マイペースでいいんだよ」と言っているように聞こえました。「早く病気を治さなきゃ」と、つい慌ててしまい、不安になる私。蕾をみて、「時期がきたらきっと良くなるから、今を大切に、のんびりゆこう」と思いました。

イヌノフグリ
庭先にイヌノフグリの花を見つけました。小さいけれど、神さまに与えられたサイズで懸命に生きている命に感動しました。イヌノフグリは「今のあなたでいいんだよ」とエールを送ってくれているように思いました。背伸びして大きくみせようとするのではなく、今日も等身大で生きてゆきたいです。

花を創られた神様は、そこに咲いているだけで花を愛してくださる方。人も同じ。私たちが何か特別なことをしたから、何か凄いことが出来るから愛されるのではなく、「ただそこにいるだけ」で愛してくださるのです。今日も「私は愛されている。生きる意味はあるんだ」と、命を喜べますように。





片柳弘史神父の言葉より

祈りの時間

「あれもしなければ、これもしなければ」という考えをいったん脇に置き、神さまだけをじっと見つめる祈りの時間の中で、わたしたちはこれまでに知らなかった神さまの愛の深さに気づかされる。花や鳥たちの時間、神さまの時間に身を委ねる心のゆとりを大切にしたい。片柳弘史著『ぬくもりの記憶』(教文館)

 

空の鳥

「明日は何をたべよう、何を着よう。どうやって暮らしてゆこう」などと先のことを心配して思い悩んでいる人々に、イエス・キリストは、「空の鳥をよく見なさい」と語りかけた。鳥たちは社会的な成功をおさめているわけでも、立派な仕事をしているわけでもない。それにもかかわらず、神さまは毎日の糧を与え、養ってくださっている。片柳弘史著『ぬくもりの記憶』(教文館)

 

大自然と向き合う

鳥や花、空をゆく雲の美しさに魅了され、時間を忘れて大自然と向かい合っているうちに、日々の生活の思い煩いで疲れ切った心は少しずつ癒されてゆく。そして、あわただしい生活の中で忘れていた大切なことを思い出す。わたしたちは、神さまの大きな愛の中で生きている。先のことなど、何も心配する必要がないのだ。空を飛ぶ鳥や野に咲く花のように、一日一日を精いっぱい生きてゆきたい。片柳弘史著『ぬくもりの記憶』(教文館)

 

立ち止まるゆとり

仕事や家事に追われ、鳥や花を見るために立ち止まっている暇などない生活をしていれば、心が荒み、将来への不安が生まれてくる。逆に、鳥や花をじっと見つめて立ち止まるゆとりを持ちさえすれば、すべての被造物に惜しみなく注がれる神の愛、この世界を満たした神の愛に気づき、思い悩む必要などないことに気づくだろう。片柳弘史著『希望する力』(キリスト新聞社)