ゆっくりと


イエスの弟子たち

イエスの弟子たちは完璧ではなく、体力の限界をもつ存在でした。イエスの弟子達でさえ休息しました。なおさら、私達はゆっくり休息しましょう。完璧な存在にはなれなくても、「あなたで大丈夫だよ」と呼びかけてくださる方が、いつもおられるのですから

 

パウロ

完璧な人間はいません。完璧なキリスト教徒もいません。パウロは、「罪人の頭です」(1テモ1・15)と、自分の罪を認めています。キリスト教徒の生活とは、単に教えるだけの生活ではないと思うのです。謙遜になり、時には教えられる生活でもあると思うのです。

 

休憩

「イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた」(ヨハ4) 人は走り続けることはでません。どこかで休憩が必要です。人生でも同じです。すべての力をつかいはたし空になってしまった時、充電が必要です。ゆっくり休み、ゆっくり寝て、おいしいものを食べて、焦らずに待ちましょう。

 

あなたはあなた

人生に疲れた時、どこに行けば良いのでしょうか。疲れた時は、神様の愛のもとへ帰れば良いことを、聖書は伝えています。神様の愛とは、あなたがあなただから大切なのです。あなたで勝負しましょう。


一番強い時

無力を感じる時こそ、自分の弱さをありのままに見せて、他人に助けてもらうチャンスの時。他者と協力し、生きてゆくことができます。無力な時こそ、実は一番弱いのではなく一番強い時かもしれません。

 

チャンスの時

弱さをかんじるとき、私たちは神様に祈り、神様により頼むことができます。自分のプライドや自分の強さを捨てることができます。弱さを恥じたりする必要はありません。むしろ、弱さを感じる時こそ成長するチャンスの時なのです。

 

 神さまがくれた休みの時

心が疲れ果て、何もできないとき。そんなときは、無理をせず再び動き出すまで、ゆっくり休みましょう。無理をすると、心にも深い傷を残してしまいます。心に包帯をして、神さまがくれた休みの時と思いましょう。