目次
1、自分の苦手を知る
2、サポーターは必要です
3、身の丈でいい
4、自分の考え方の特徴を知る
5、逃げるが勝ちのときもある
6、私の色で
「自分でなんとかなるから、大丈夫」と強がってしまう私。ある時、心に限界がきました。それから、自分のできることと、できないことを整理してみました。完璧に何もかも一人でしなくてもいいんだ、と気づきました。背伸びして大きくならなくても、他人と比較して心配をしなくてもいいことに気がつきました。自分の苦手なことをしり、等身大の自分でよいと思うと心が楽になりました。
「ほんとうに強い人とは、「助けてください」と言える人でしょう。「助けなどいらない。自分のことは自分でやれるんだ」という言葉には、自分の弱さを認めることのできない弱さがあるのです。
大嶋重徳著『朝夕に祈る、主の祈り-30日間のリトリート』いのちのことば社より
~わたしは自分の限界を感じたとき、していることがあります。それは支援してくれるサポーターを作ることです。
どこに相談したらよいのかは、主治医のアドバイスをきいて、許可をとってからお願いしたいのですが、相談先リストを自分で作ってます。あくまでも下記は私の相談リストです。
・住職さん
・神父さん、牧師さん
・病院のソーシャルワーカー、
・臨床心理士、認定心理士さん
・市役所の福祉課
・相談支援事業所
・保健所
・精神保健福祉センター
・近所の民生委員
https://notalone-cas.go.jp/search/
一度の相談でうまくいかなくても、あきらめないほうがよいと、私は思います。
人なので相性があいます。じぶんで捜せないときは、教会や家族や市役所(役場)の方に相談したらよいと思います。
一人でなにもかもすると限界がきてしまいます。サポーターを作って、助けあってゆくとこころの荷物が少しずつ軽くなるのを感じます。なにもかも、一人で重荷をおわなくて大丈夫だとわたしは思います(^^)
「何もできないから、自分には価値がない」と考える必要はありません。人間の価値は、
何かが「できる」ことではなく、その人がその人「である」ことから生まれるものだからです。自分らしく、精一杯生きているだけで、わたしたちには十分価値があるのです。
~私は、自分の思った通りにならないと、つい不安になってしまいます。じっくり考えたら「こうでなければならない」と思いこんでいる私を発見しました。
背伸びして無理に変わろうとせず、等身大な自分が一番だと思います。バラはバラの花を咲かせ、タンポポはタンポポの花を咲かせます。1人ひとりも、神さまに造られたあなたの花をさかせていいと思います。無理に自分を変えなくてよいと思います。
しかし、人は「あれも足りない、これも足りない」と、様々なものを手にいれようとします。自分に対しても「いまの私では神さまに愛されので不十分だ」と勘違いしてしまうのです。それでも神さまは、あなたがそこにいるだけで、喜んでくださる方だと思います。なにかが「できる」から大切なのではなく、あなた「である」ことだけで、たいせつな存在だと思います。
私はつい「こんな私じゃダメだ」と自分を否定してしまう癖がありますが、少しずつ「わたしは生きてるだけで大切な存在なんだ」と等身大の自分で生きられるようになりたいです。
私は「自分には価値がない」という考えが頭から離れませんでした。しかし、今は「私には生きているだけで価値があるかも?」と、少しずつ思える訓練をしています。じつは、一番怖いのは他人ではなく、自分の思い込みだと思いました。
私はこころが辛くなって入院していたとき、「私は神さまに愛されている」とつぶやいてすごすようにしました。すると朝が、さわやかになってきました。朝のいっぱいのコーヒーで、幸せを感じられるようになってきました。「自分には価値がない」と言っているのは、自分の作り出した証拠のない声だったりします。子どものとき親から「あなたはだめな子」と言われたり、競争社会のなかで他人と比較して、「自分は弱いダメな存在」と思いこんでしまっている
自分の声だったりします。心を柔らかくしてゆくと
「自分はダメじゃないかも?」
「私は愛されているかも?」
と思えるようになってくると思います。
一人ひとりは、生きているだけで価値がある存在だと思います。「自分には価値がない」と言っているのは、自分の作り出した根拠のない考え方だったりします。自分の考え方ではなく、心を柔らかくして自分の考え方の癖を確認すると、ありのままの自分を大切にできるようになってくると思います。最初は、「私は大切な存在なのかも?」とはじめていったら、少しずつ等身大な自分を大切にできるようになってくると思います。育った環境や、DVなどで、問題が複雑な時があります。その際は、自分の力だけで解決しようとするのではなく、専門的な精神科医や心理士さんの治療やカウンセリングが、必要になってくると思います。
PTSDや、複雑性PTSD(Complex PTSD)を抱えている方もおられると思うからです。自分の力だけで、なんとかしよう、と思う必要はないと思います。辛かったら、信頼できる主治医やカウンセラーに治療してもらえばよいと思います。少しずつでも、「私は愛されている大切な存在かも?」自分の気持ちをありのまま話せる、安全な場所があるかも?」と思えてきたなら、きっと笑顔が増えてゆくと私は思います。
あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。
あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、
それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。
コリント人への第一の手紙 10:13 口語訳
~もし、毎日が辛いなら、幸せのハードルをさげてみたらよいと思います。幸い両親は、私に逃げ道を用意してくれました。
心も骨折するときがあります。心に包帯をまいて、ゆっくり時間をかけて治療する必要があると思います。「弱さがあったら恥ずかしいことだ」というのは、私の思い込みでした。
人生の道は一本道ではなく、たくさんの道があると思います。他人と同じ道ではなく、自分の道でいいと思います。遠回りしても寄り道をしてもいいと思います。「みんなと同じ道でなければ」と思い込み、無理に自分を変える必要はないと思います。
タンポポはタンポポで、バラはバラで美しいように「あなたはあなただから素晴らしい」と思います。神さまは一人ひとりに、ベストな道を準備をしてくださいます。自分の道を楽しく歩んでゆこう、と私は思っています。
チューリップの花は赤や白や黄色の花があります。どの色が優れているか優劣を作ることはできないと想います。神さまが与えてくれた、一人ひとりの色は違いますが、自分の色の花を咲かせてよいと思います。私は、根本的に自分が嫌いです。好きになりたいのですが、できないことがありすぎて、悲しくなってきます。しかし花を見ているとタンポポはタンポポのように、チューリップはチューリップのように花を咲かせみんな違っていいんだ、と励まされます。花から元気をもらい「私もわたしでよいんだ」と想えるように、自分を好きになるリハビリしています。
マザー・テレサは、「愛されるために、自分と違ったものになる必要はありません。ありのままで愛されるには、ただ心を開くだけでいいんです。」と言っています。「もっと成長したら私には価値がある」と、つい思いがちです。しかし無理に自分を変える必要はないと思います。愛されるために相手の期待にこたえて、自分を変えてしまうことがありますが、やがて限界がきてしまうと思います。「私であるだけで、愛してくれる人がいる」と思えるとき、人は安心できるのではないでしょうか。片柳弘史神父のブログに「ありのままの輝き」という文章があります。読むとホッとします。
わたしたちが一番輝くのは
ありのままの自分を精いっぱいに生きているとき。
自分を実際よりよく見せようとすればするほど、
耀きは失われてゆきます。
自分以上の自分を演じる必要はありません。
ありのままの自分の輝きを信じましょう。