目次
1、愛されている私
2、何度も、やり直すことができるよ
3、支えあって生きる
4、耳をすますと、聞こえてくるもの
5、助けを求めていいんだよ
6、逃げる場所
7、信じられない時もあっていい
8、マイペースでいいんだよ
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。 愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。」
ヨハネの第一の手紙 4:10-11 口語訳
~神さまは一人ひとりに「あなたはかけがえのない大切な存在。あなたは私の愛する子」と呼んでくださる方。良いことをしたら神様に喜ばれるのではありません。そのままの姿で神さまはあなたを喜んでくださいます。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。」
イザヤ43・4新改訳
~神さまは「あなたと会えて本当に嬉しい。あなたが生まれてきてくれて本当によかった」と、呼びかけてくださる方。愛されるために特別なことは必要ないのです。ただ心を開き「私は愛されている」と受け入れるだけでよいのです。
『自分を愛するように
あなたの隣り人を愛せよ』
マルコによる福音書 12:31 口語訳
~自分に厳しければ、隣人にも厳しくなってしまいがち。「自分のように」とイエスはあえて言われています。まずは、弱さも含めてありのままの自分を愛することからはじめてみませんか。
そして、隣人をありのままに愛することができますように。
「また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、
考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。」
マタイによる福音書 6:28 口語訳
~働くこともしない野の花を、神さまは美しく装ってくださる方。神さまは、花が咲いている存在自体を喜んでくださる方。「あなたがそこにいてくれるだけで嬉しい」と喜んでくださる神さまがおられます。
「ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。」
コリント人への第二の手紙 12:9-10 口語訳
~「私には弱さがあるから愛されない」、と嘆く必要はありません。
神さまは弱さを含めたあなたを、受け入れてくださる方だからです。自分を、もう否定する必要はないのです。あなたは、両親からもしかして否定されてきたかもしれません。しかし、あなたを作った天のお父さんは、あなたがいるだけで喜んでくださる方。「私はどんな時も愛されている。私が生きていることを喜んでくださる方がいる。」と神さまの愛を確信しすごしてゆけますように。
あなたはだれより美しい。
あなたのことばは優しさにあふれている。
あなたは永遠に神の祝福に包まれる人。
詩篇 45:2 リビングバイブル
~神さまは一人ひとりに、「あなたは美しい」と呼んでくださる方。あなたは、神さまか大切に造られた最高傑作。神さまに作られたのは自分だけではありません。隣人にも、「あなたは大切な存在」だと伝えてあげられますように。
わが愛する者よ、
見よ、あなたは美しい、
見よ、あなたは美しい、
あなたの目ははとのようだ。
雅歌 1:15 口語訳
~タンポポはタンポポのままで美しく、アジサイはアジサイのままで美しいように、あなたもあなたのままで美しい存在。
神さまの愛を信頼し、互いに
喜ぶことができますように。
「互いに情深く、あわれみ深い者となり、
神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、
あなたがたも互にゆるし合いなさい。」
エペソ人への手紙 4:32 口語訳
~他人は赦せても、自分を赦せない時があります。「もっと優れていなければ」と焦っているからではないでしょうか。
「もっと自分は変わらなければ」と焦る必要はありません。神さまのところに帰り、
神さまに造られたあなたがあなたになること。それが一番です。
「イエスは彼らの信仰を見て、
中風の者に、「子よ、
あなたの罪はゆるされた」と言われた。」
マルコによる福音書 2:5 口語訳
~キリスト教の出発点に、悔い改めがあります。悔い改めとは、自分の限界を認め「私にはもうできません。私は方向転換して、あなたのところに帰ります」と向きを変えることです。そこからは、神さまの出番。神さまは、「私に任せなさい」と言ってくださる天のお父さんです。
イエスは彼らに言われた、
「さあ、朝の食事をしなさい」。
弟子たちは、主であることがわかっていたので、だれも「あなたはどなたですか」と進んで尋ねる者がなかった。 イエスはそこにきて、パンをとり彼らに与え、また魚も同じようにされた。
ヨハネによる福音書 21:12-13 口語訳
~弱さのために、繰り返し同じ過ちをしてしまう私たち。それでも、イエスは私たちを愛し続け、等身大の私たちをゆるしてくださる方。
「自分はもうダメなんだ」と諦めるのではなく、「神さまにゆるされて、なんとかなるんだ」と確信していいのです。イエスが与えてくださる食事をとって、ゆっくり休み、自分と隣人の命を喜びあうことができますように。
「互に重荷を負い合いなさい。
そうすれば、あなたがたは
キリストの律法を全うするであろう。」
ガラテヤ人への手紙 6:2 口語訳
~一人で、重たい荷物を背負うと、ヘトヘトになってしまうのではないでしょうか。辛い時は荷物を整理し、自分の背負えるだけで十分だと思います。自分の限界を認め、体を大切にできますように。
「喜ぶ者と共に喜び、
泣く者と共に泣きなさい。」
ローマ人への手紙 12:15 口語訳
~神さまは私たちと一緒に笑い、一緒に泣いてくださる方です。泣きたいときは、泣いてもいいのです。神様は「辛かったね。我慢しなくて大丈夫だよ」と、寄り添ってくださる方なのです。
「金銭を愛することをしないで、
自分の持っているもので満足しなさい。
主は、「わたしは、決してあなたを離れず、
あなたを捨てない」と言われた。
だから、わたしたちは、
はばからずに言おう、
「主はわたしの助け主である。
わたしには恐れはない。
人は、わたしに何ができようか」
ヘブル人への手紙 13:5-6 口語訳
~「私はどんな時も一人でないんだ。神さまが共にいるんだ」。その確信こそが、安心の土台ではないでしょうか。愛してくださる人は一人だけでもよいのです。神さまはあなたを愛してくださる方。これだけで十分です。
暮らしを支えるために
朝早くから夜遅くまで
身を粉にして働いたとしても、
それが何になるでしょう。
主は、愛する者には必要な休息を
与えようとなさるお方です。
詩篇 127:2 リビングバイブル
~責任を一人で背負わなくてよいのです。責任を一人で背負うとき疲れはててしまいます。「あなたの重荷を一緒に背負うよ」と呼びかけてくださる神様がおられます。自分一人で、なにもかもする必要はないのです。神さまは愛するものに休息を与えてくださいます。思い煩いを神さまに委ねて、ゆっくり休めますように。これからも、神さまは道をつくってくださる方。神さまの準備してくれた道は一番いい道です。
しかし、わたしに聞き従う人は、
何の心配もなく、毎日を平和に暮らす。
箴言 1:33 リビングバイブル
~「人はこうであるべきだ」と理想が高い時、生きることが苦しくなってきます。
神さまは理想のあなたでなく、現実のあなたを愛してくださる方。
「こうでなくても大丈夫」と、自分を受け入れてよいのです。
「わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。
神にのみ、わたしは希望をおいている。」
詩編 62:6 新共同訳
~「私はつまらない人間だ」と思うのは、
神様の言葉ではなく、自分が作り出した声。
心を沈黙させて「あなたは限りなく尊い存在」と言われている、
神様の愛の言葉に耳を傾けられますように。
「しかし、わたしが与える水を飲む者は、
いつまでも、かわくことがないばかりか、
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、
永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。
ヨハネによる福音書 4:14 口語訳
~イエスの言葉は、私たちの心を愛で潤してくれます。何もかも悪い方向にむかってしまいそうなとき、イエスの言葉から「まだ大丈夫。なんとかなるさ」と、安心が与えられるのです。神さまの言葉に耳をすますことができますように。
そこで、兄弟たちはただちに、パウロとシラスとを、夜の間にベレヤへ送り出した。ふたりはベレヤに到着すると、ユダヤ人の会堂に行った。 ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であって、心から教を受けいれ、果してそのとおりかどうかを知ろうとして、
日々聖書を調べていた。 そういうわけで、彼らのうちの多くの者が信者になった。
また、ギリシヤの貴婦人や男子で信じた者も、少なくなかった。
使徒行伝 17:10-12 口語訳
~ベレヤという町に住むユダヤ人たちは、素直でパウロたちが伝えるイエスの教えが正しいかどうか、日々聖書を調べていました。ベレヤに住む人たちのように、心を柔らかくし、聖書に耳を傾けるとき、きっと生きる希望が見つかるでしょう。
こうして、ペテロは獄に入れられていた。
教会では、彼のために熱心な祈が神にささげられた。
使徒行伝 12:5 口語訳
~絶体絶命なとき神に祈ることができます。弱くても疑っても、不安のなかにあっても、祈ることができます。自分の力や巧みな計画に頼るのではなく神様に委ねましょう。心にある全ての重荷を神様は聞いてくださり、聖霊を送って助けてくださいます。
神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、
自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。
ペテロの第一の手紙 5:7 口語訳
~「自分はなんでも一人でできる」と無理をしてしまうことはないでしょうか。私はつい無理をして、ばててしまうことがあります。心配は神様にお任せして、自分ができることを精いっぱいしてゆきましょう。できないこともあってもよいのです。
主はわたしの牧者であって、
わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、
いこいのみぎわに伴われる。
主はわたしの魂をいきかえらせ、
み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、
わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられるからです。
あなたのむちと、
あなたのつえはわたしを慰めます。
詩篇 23:1-4 口語訳
~私はこれからどうなるんだろう、と不安になるときがあります。そんなとき、神様(主)は羊飼いであることに、おまかせしましょう。羊飼いである神さまは、「私についてきなさい。大丈夫だよ」と呼びかけてくださいます。
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、
感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって、
神があなたがたに求めておられることである。
テサロニケ人への第一の手紙 5:16-18 口語訳
~神さまは「あなたの人生を導く」と約束してくださる方。自分の思い通りにならなくても、神様が造った道はやはり一番いい道です。その道を、一緒になって喜ぶことができますように。
ハンナは答えた。
「いいえ、祭司様、違います。
わたしは深い悩みを持った女です。
ぶどう酒も強い酒も飲んではおりません。
ただ、主の御前に
心からの願いを注ぎ出しておりました。
サムエル記上 1:15 新共同訳
~ハンナは強がらず、弱さもありのままの姿をみせました。神さまは、どんな話にも耳を傾けてくださる方。あなたの気持ちを、神さまにお話しできますように。
あなたがたの会った試錬で、
世の常でないものはない。
神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、
試錬と同時に、それに耐えられるように、
のがれる道も備えて下さるのである。
コリント人への第一の手紙 10:13 口語訳
~すべての困難が神さまから与えられたものであるとは限りません。どうしようもなく苦しい時は、神さまは逃れの道を備えてくださいます。時には逃げる勇気をもてますように。
すべて重荷を負うて苦労している者は、
わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
マタイによる福音書 11:28 口語訳
~私たちは神さまの子ども。心が疲れた時は、神さまのそばで手当てしてもらいましょう。病気の時に、病院にいき治療するように、疲れたときは神さまのそばで、ゆっくり手当てして休めばよいのです。弱音をはいてもよいのです。
するとイエスは彼らに言われた、「さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」。それは、出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。」
マルコによる福音書 6:31 口語訳
~元気がなく動けなくなってしまう時は、充電しましょう。マザー・テレサが言うように
「よく食べて、よく遊び、よく寝ましょう」。
私は安心して横になり、ぐっすりと眠りました。
主が守ってくださったからです。
詩篇 3:5 リビングバイブル
あなたは確かな道を行き
足はつまずくことがない。
横たわるとき、恐れることはなく
横たわれば、快い眠りが訪れる。
箴言 3:23-24 新共同訳
~「あなたは何かしなければならない」と焦らせる時代。しかし神さまはあなたがゆっくり休んでも変わらずに愛してくださる方。眠っているときも「あなたで大丈夫だよ。あなたがそこにいるだけで、私は嬉しい」と呼びかけてくださり、見守ってくださる方。どんな困難なときも、神さまに信頼してゆっくり休めますように。
わたしは疲れた者には休息を、悲しむ者には喜びを与えるからだ。」
ここでエレミヤは目を覚まし、
「この眠りは、とてもここちよかった」と言いました。
エレミヤ書 31:25-26 リビングバイブル
~神さまは疲れたとき、休息を与えてくださる方。じぶんの体を大切にできなければ、他人も大切にできません。まずゆっくり休み、ゆっくり眠りましょう。自分の体を大切にしましょう。
絶えず祈りなさい。
テサロニケ人への第一の手紙 5:17 口語訳
~天のお父さん(神さま)に、私たちはいつでも祈ることができます。
最初に、「天のお父さん」とよびかけ、あとは、自分の気持ちを伝えてみましょう。
希望という出口は、神さまへの祈りからみえてくるでしょう。
それから、彼らはエリコにきた。そしてイエスが弟子たちや大ぜいの群衆と共にエリコから出かけられたとき、テマイの子、バルテマイという盲人のこじきが、道ばたにすわっていた。 ところが、ナザレのイエスだと聞いて、彼は「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」と叫び出した。 多くの人々は彼をしかって黙らせようとしたが、彼はますます激しく叫びつづけた、「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」。 イエスは立ちどまって、「彼を呼べ」と命じられた。そこで、人々はその盲人を呼んで言った、「喜べ、立て、おまえを呼んでおられる」。 そこで彼は上着を脱ぎ捨て、踊りあがってイエスのもとにきた。 イエスは彼にむかって言われた、「わたしに何をしてほしいのか」。その盲人は言った、「先生、見えるようになることです」。 そこでイエスは言われた、「行け、あなたの信仰があなたを救った」。すると彼は、たちまち見えるようになり、イエスに従って行った。
マルコによる福音書 10:46-52 口語訳
~盲人であったバルティマィは、あきらめないで「憐れんでください」と、イエスに叫び続けました。イエスに繰り返し祈り続けましょう。イエスは「安心しなさい」と私たちを呼んでくださるでしょう。
十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。 ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。
ヨハネによる福音書 20:24-25 口語訳
~信じられないトマスのことも、イエスは決して駄目だとは言いません。信じられないわたしたちであっても、あなたを愛している」と、イエスはわたしたちに呼びかけてくださるのです(参考サイト)。
イスラエル人の全会衆は、主の命により、
シンの荒野から旅立ち、旅を重ねて、
レフィディムで宿営した。
そこには民の飲む水がなかった。
出エジプト17・1新改訳
~イスラエルの民は、エジプトから脱出するとき家畜や高齢者もいたので、「旅を重ねて」ゆっくり進んだことが読みとれます。「あれもしなければ、これもしなければ」と焦りはじめると疲れはててしまいます。1日にできることは限られています。自分の限界を認め、「今日はここまで」と認め、後はゆっくり休みましょう。