神さまはあなたの体を大切にしてほしいと願っています。その理由を、リック・ウォレン牧師のインスタグラムを参考に、みていきたいと思います。一部アレンジしています。
1、神さまは、あなたの体を大切に思っています。
自分のからだをもって、
神の栄光をあらわしなさい。
コリント人への第一の手紙 6:20 口語訳
~神さまは、あなたの体を大切に思っています。自分の存在を否定する必要はないのです。
どんなに弱く不完全であってもあなたの体を通して、神さまの栄光をあらわすことができるのです。
2、あなたは、神さまのもの
あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だとは知らないのか。
コリントの信徒への手紙一 6:15 新共同訳
~パウロは、クリスチャンたちに、一人ひとりがキリストの体の一部だと言います。
心だけを大切にするのではなく、体も大切にして、ケアすることは大切だと思います。
3、死は終わりではない
神は、主を復活させ、また、
その力によってわたしたちをも復活させてくださいます。
コリントの信徒への手紙一 6:14 新共同訳
~「どうせ死んだら全て終わりだ」と、人は思うかもしれません。しかし、ひとは死んだあとも神さまの愛によって世界はつづき、復活させられるのです。人の力だけでは、無理なことだと思います。神さまの助けによって、はじめて可能になると思います。神さまを否定するのではなく、神さまを信じるものになりたいと思います。
4、聖霊が、あなたと共に
自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、
あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。
コリント人への第一の手紙 6:19 口語訳
~あなたが神さまを信じたとき、神さまの聖霊があなたに住む、と言われます。
聖霊とは、私たちの人生を導き、養ってくださる神さまです。
5、イエスの十字架によって
あなたがたは、
代価を払って買いとられたのだ。
コリント人への第一の手紙 6:20 口語訳
~イエスは十字架にかかったのは、私たちの身代わりのため。本来、人間が神さまの裁きを受けなければなりませんでしたが、イエスは身代わりになってくださいました。それほど、一人ひとりの存在は神さまによって大切に思われています。「私は価値がないんだ」と思うときが、生きているとあるかもしれません。しかしイエスは繰り返し「あなたは大切な存在を」と呼びかけてくださるのです。
6、あなたには価値がある
命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。 烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。
ルカによる福音書 12:23-24 新共同訳
~イエスは、命は大切だ、と言っています。様々なことで心配する私たちに、シンプルに言っています。神さまは、私たち一人ひとりを養ってくださるほど、私たちを大切に思ってくださる方。
そして、あなたがたには価値(διαφέρω)があるではないか、とイエスは呼びかけてくださるのです。
7、しっかり遊び、しっかり食べよう
ぶどう酒は人の心を喜ばせ、
油は顔を輝かせ
パンは人の心を支える。
詩編 104:15 新共同訳
~貧しい人のために、自分も少しだけご飯を、食べようと思ったら、体を壊してしまいます。しっかり支えるためにも、自分の体調をまずととのえましょう。
8、聖書は自己否定を教えているの?それとも自己肯定を教えているの?
それから、みんなの者に言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、
日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
ルカによる福音書 9:23 口語訳
~イエスは「自分を捨て」といっています。
ギリシャ語では
ἀρνησάσθω(捨てる、否定する)
ἑαυτὸν(自分自身を)と書いてあります。
自分を捨てるとは、空っぽな心になることだと思います。人間は、自分を中心にして物事を考えてしまいます。日々、自分を空っぽにして神さまに委ねるとき、神さまは愛で満たしてくださると思います。
お金も才能も神さまの預かりものです。自分の「お金」、自分の「命」だけを考えると苦しくなります。小さなものでも、貧しい人や困っている人に差し出すとき、神さまは喜んでくださるのです。聖書は、完全なる自己否定を求めているのではないと思います。むしろ、不完全な自分、弱さのある自分を受け入れて、自分と隣人を大切にする人生です。以下の聖書の言葉を通して、考えていきたいと思います。
わたしたちは神の作品であって、
良い行いをするように、
キリスト・イエスにあって
造られたのである。
エペソ人への手紙 2:10口語訳
~パウロは、神さまに大切に作られた作品(ποίημα)といいます。神さまに失敗はなく、誰もが神さまの最高傑作なのです。
ああ人よ。あなたは、神に言い逆らうとは、いったい、何者なのか。
造られたものが造った者に向かって、「なぜ、わたしをこのように造ったのか」と言うことがあろうか。
ローマ人への手紙 9:20 口語訳
私たちは、神さまに大切に作られた存在。神さまがいちばん悲しむのは、
「なぜこんな自分なんだろう」と、自分を否定することではないでしょうか。
どんな自分であっても、一人ひとりは神さまに造られた最高傑作です。
9、隣人を自分のように愛する
隣人を自分のように愛しなさい。
マルコによる福音書 12:31 新共同訳
片柳神父のブログのバイブルエッセイ「二つの掟」がとてもわかりやすいです。また、祈りの小箱(191)『自分自身を愛するように』も、わかりやすいです。
「隣人を自分のように愛しなさい」と言いますが、人間は、自分を愛するようにしか隣人を愛することができません。自分を厳しく裁いて駄目な人間だと決めつける人は、隣人も同じように厳しく裁いてしまうのです。
まずは、自分を愛することから始めましょう。
片柳弘史著『こころの深呼吸』(教文館刊)より
10、ゆっくり休もう
私は安心して横になり、眠りにつきます。 たとえひとりぼっちでも、ああ主よ、あなたはすべての危険から 守ってくださるのです。
詩篇 4:8 リビングバイブル
私は安心して横になり、
ぐっすりと眠りました。 主が守ってくださったからです。
詩篇 3:5 リビングバイブル
~「神さまはどんな時も一緒にいる」と考えたら、心は安心するのではないでしょうか。一人では限界のことも、神さまに委ねればなんとかなることがあります。「これからどうなるんだろう」と心配して横になる必要はなく、「神さまがいるから、なんとかなる。神さまに委ねよう」と心配を神さまに預けられますように。
イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、
しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、
食事をする暇もなかったからである。
マルコによる福音書 6:31 新共同訳
~聖書は、心だけではなく、体をケアする大切さも伝えていると思いました。そして、聖霊が住んでくださるほど、神さまは近くにいつも共におられることが、聖書からみえてきました。体がしんどいときもあると思います。そういうときは、イエスは心配してくださり「しばらくやすみなさい」と優しく声をかけてくださるのです。
総督ネヘミヤと、祭司であり書記官であるエズラは、律法の説明に当たったレビ人と共に、民全員に言った。
「今日は、あなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない。」
民は皆、律法の言葉を聞いて泣いていた。 彼らは更に言った。
「行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、
それを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。
悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」
ネヘミヤ記 8:9-10新共同訳
私たちの罪の現実に対して悲しくなるときがあります。イスラエルの民たちも、涙をながしたとあります。しかしエズラ(wikipedia)たちは、神さまを喜び祝い、泣かなくてもよく、しっかり食べて楽しみなさいと言われました。体と心を大切にしなさいと、いうことだと思います。そして、食べ物がない人がいたら分かち合いなさい、と言われました。
神さまに帰るとき、神さまは私たちをゆるしてくださるのです。神さまにゆるせない罪や過ちはありません。「私はゆるされない存在なんだ」とあきらめる必要はなく、「私は神さまに愛されている大切な存在」と確信してよいと思います。自分の体をいじめるのではなく、神さまに大切に造られたものとして、大切にし、支えあってゆきたいです。
神はお造りになった
すべてのものを御覧になった。
見よ、それは極めて良かった。
創世記 1:31 新共同訳