これからが心配なとき(生活の言葉)


目次

1、荷物を軽くしてみよう

2、やわらかく(新しい視点)

3、ゆっくり待ってみよう

4、ペースダウン

5、すべてを宝にしてくださる

6、片柳神父の言葉


1、荷物を軽くしてみよう

また十二弟子を呼び寄せ、

ふたりずつつかわすことにして、

彼らにけがれた霊を制する権威を与え、

また旅のために、

つえ一本のほかには何も持たないように、

パンも、袋も、帯の中に銭も持たず、

 ただわらじをはくだけで、

下着も二枚は着ないように命じられた。

マルコによる福音書 6:7‭-‬9 口語訳

~将来に対して不安な時があります。そういうときは、イエスがどのように弟子を色々な町に派遣したかを考えてみたいと思います。

イエスは、12人の弟子を派遣するときに、杖以外に必要なものはない、と言われました。神さまを信頼しなさいと、弟子たちに教えたのでしょう。

たとえ弱く欠点を抱えていようとも、神様は私達一人一人を、それぞれ与えられた場所で用いてくださり、必要としてくださいます。

将来のために、「あれも必要だこれも必要だ」と思い煩いがちです。

しかし、これから先も神さまがすべて必要なものを備えていてくださるから、身軽になって歩んでよいのではないでしょうか。そう思うと、未来への不安が少し楽になるのではないでしょうか。

 


2、やわらかく(新しい視点)

イエスは立ちどまり、彼らを呼んで言われた、

「わたしに何をしてほしいのか」。

マタイによる福音書 20:32 口語訳

~私たちの世界では、ときどき「こうであらねばならない」と、決めてしまうときがあります。

律法学者たちも、イエスの教えを受け入れることはできませんでした。そんなかたくななファリサイ派の人たちに、

「だれも新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」

とイエスは言われました。「これまでこうだったから、こうでなければならない」という思い込みが心を堅くしてしまうのです。

イエスは幼子のようなやわらかな心で変化を受け止められるように求めているのです。「こうでなければならない」と、たくさん背負いこんでしまったら重たすぎて動けなくなってしまいます。「こうであるべき」という重たい袋を捨て、イエスの言葉を新しい革袋にいれたら、荷物は軽くなり、新しい風景がみえてくると思います。

人生は神様が導いてくださっている、という考え方があります。神さまを信頼する人の道は、どっちに転んでもそれは神さまが決めてくださった道

前へ進むばかりではなく、時には立ち止まりましょう。イエスは、私たちのために立ち止まってくださる方。立ち止まると今まで見えなかった道端に咲いていた花や、懸命に生きる鳥の鳴き声が聞こえてくるでしょう。道端に咲いている花は、「人生、そんなに慌てなくていいよ」と言っている気がします。前へ進む事ばかりではなく、時には立ち止まると、見えてこなかった景色をゆっくり楽しむことができるでしょう。

 

人は心に自分の道を考え計る、 

しかし、その歩みを導く者は主である。

箴言 16:9 口語訳

~聖書は「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる」と言います。人生の主人公は、私たちではなく神さま。神さまにお委ねすれば、たとえ自分の思い通りにならなくても、一つ一つを感謝できるのです。

全てを自分の思い通りにしたい」という欲望があります。自分を神とし、相手をすべてコントロールしたいと欲求があります。悪魔は様々な手を使って「あなたは神さまになれる」と誘惑してくるのです。

しかし、神様を演じてしまうと、疲れはててしまうでしょう。自分の限界を直視し、自分が神ではないことを受け入れるとき、回復ははじまっていくのではないでしょうか。

人間関係でも同じではないでしょうか。相手は「自分の思った通りにならなくても良い」と認め、相手をありのままに受け止めるとき、心地よいそよ風が吹いてくるでしょう。


3、ゆっくり待ってみよう

主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。

おのが道を歩んで栄える者のゆえに、

悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、

心を悩ますな。

詩篇 37:7 口語訳

~なんでも焦って結果をだそうとするときがあります。「早く結果が知りたい」と思い、待てないときがあります。

しかし、種を蒔いてすぐに花を咲かす花はありません。神様は私たちに、待つという時間を与えてくださいました。人は最初から上手にできる人はいないと思います。完璧な人はいません。私たちは、それぞれ異なるペースで成長してゆきます。「もっと速くないと」と他人と比べて焦る必要はないと思います。一人一人のペースは違うからです。慌てず自分のペースですごしてゆけますように。


4、ペースダウン

するとイエスは彼らに言われた、

「さあ、あなたがたは、

人を避けて寂しい所へ行って、

しばらく休むがよい」。

それは、出入りする人が多くて、

食事をする暇もなかったからである。

マルコによる福音書 6:31 口語訳

~一日にできることは限界があります。頭も心も体力の限界があるからです。「今日できるのはこれだけ」と割り切って、一日でする範囲を決めておくと、将来への不安が減ってくるでしょう。種をまいて、一日で花を咲かせる花はありません。一日ごとに、少しずつ成長し、やがて根もはって、美しい花を咲かせます。人も同じ。少しずつ根をはって、少しずつ成長し花を咲かせます。無理に急がなくても大丈夫です。「今日これだけできたら上出来だ」と思い、自分自身をほめてあげましょう。「自分はなんにもできていない」と心配する必要はありません。ゆっくりでいいのです。

本を読む時は、慌てていると内容がはいってきません。一つ一つの言葉の意味を確かめ、ゆっくり読む時に、心の奥底にしみこんでゆきます。慌てている時は、何事も雑になりがちです。一つ一つ遅くても、心をこめてするならは、きっと美しいものに仕上がってゆきます。遅くてもよいのです。神さまは今日も、私たちが疲れはてた時、「しばらく休むがよい」と言ってくださいます。神さまが、一人一人に与えてくれた自分のペースを取り戻し「なんとかなるさ」と構え、ゆっくり休養がとれますように。


5、すべてを宝にしてくださる

神さまの計画

神は、神を愛する者たち、すなわち、

ご計画に従って召された者たちと共に

働いて、万事を益となるようにして下

さることを、わたしたちは知っている。ローマ人への手紙 8:28 口語訳

 ~人は、この人生で失敗してはいけないと恐れています。しかし、私たちは失敗を通して成長してゆきます。失敗しないようにビクビク生きると、何をするにしても怖くなってしまいます。「失敗したらどうしよう」といつも不安になり何もできなくなってしまうかもしれません。そうならないためにも、「失敗しても、神様は変わらずに愛してくださり、失敗は自分の成長のために神さまが与えてくださるもの」と思いましょう。神さまは、すべてのことを働かせて益としてくださる方。失敗を繰り返すなかで、ちょうどよい自分を発見するでしょう。「失敗もあったが、よいこともたくさんあった。全ては自分のために良かった」と過去の自分を受け入れ、一歩を踏み出すでしょう。


★失敗さえも宝に

主はみこころのままに、

その向きを変えられる。

箴言 21章 1節、新改訳2017

~人は自分の人生を思った通りにしようと思います。しまいには、他人にも自分の考えをおしつけ、「こうであるべきだ」と押し付けてしまいます。しかし、押し付けられたほうは悲しい気持ちになってしまうと思います。

聖書には、神さまは御旨(みむね)のままに定められる、とあります。御旨とは、私たちとは違うかみさまの考え方です。

私たちが失敗だと思っているものも、後になって人生の宝になっているときがあります。

飲み物のコカ・コーラも、実は誤りからうまれたとされます。日本語のwikipediaには、次のように書いています。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%A9_(%E9%A3%B2%E6%96%99)

コカ・コーラは当初、独自のシロップを水で希釈した商品で、炭酸飲料ではなかった。コカ・コーラが炭酸飲料になったのは、提供時に誤って炭酸水で希釈したことが始まりだとされている。


また、エジソンは

Never get discouraged if you fail. Learn from it. Keep trying.

失敗したわけではない。それを誤りだと言ってはいけない。勉強したのだと言いたまえ。

https://meigen.club/thomas-edison/#i


と、言っています。

理想どおりいきられないときや、思った通りにならないときもあります。体調がわるくなったり、病気になって、ねこむこともあります。しかし、どんなときでも神さまは私たちを大切に思ってくださり、失敗さえも宝物に変えてくださると思うと、なんだか希望がわいてきます。精いっぱいやって、後は神さまの手に委ねて、神さまの御心になるように、祈りたいと思います。


6、片柳神父の言葉

片柳弘史著『ほんとうの自分になるために』(PHP刊)より

「タンポポにはタンポポの花が、バラにはバラの花が咲くように育てましょう。タンポポに無理やりバラの花を咲かせるようにしても、うまくゆくはずがありません。一人ひとりが、自分の花を咲かせられるように育てましょう」。幼稚園の先生たちに、こんなふうに話すことがあります。子どもは種のようなもので、その種が自分らしく育ってゆくのを手伝うのがわたしたちの役割なのです。

世の中に出て自分の可能性を伸ばしてゆくなかで、わたしたちは少しずつ、自分が何者なのかを知ってゆきます。さまざまなことに挑戦して、成功したり、失敗したりするなかで、自分に何ができて、何ができないのかを知ってゆくのです。「やればできる」というのは、半分正しくて、半間違っています。どんなに頑張っても、みんなが同じようにできるようになるわけではありません。人それぞれに咲かせる花が違うのですから、それは当たり前のことです。ただ、やらなければ、できるはずのことさえできないままに終わってしまいます。挑戦し続ける人だけが、いつの日か、自分にしか咲かせられない花を咲かせることができるのです。ほかの花と自分を比べる必要はありません。自分らしい花を精一杯に咲かせることができれば、それで十分です。

 

「心のともしび」から片柳神父の文章のリンクをはっておきます(外部サイトです)

まわり道をしても

繰り返し

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