目次
1、家庭の主人は神さま?
2、違っているから、美しいのです
3、気持ちを伝えていますか
4、教会も実家です。
5、片柳神父の言葉(ブログより)
6、私の別サイトの紹介『こころの深呼吸』
「それから、ふたりを外に連れ出して言った、「先生がた、わたしは救われるために、
何をすべきでしょうか」。 ふたりが言った、「主イエスを信じなさい。
そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。
それから、彼とその家族一同とに、神の言を語って聞かせた。」
使徒行伝 16:30-32 口語訳
~お互いを見つめあっていては、欠点もみえてきます。見つめ合うことは大切ですが、家庭の本当の主人は神さま。神さまを一緒に見つめたら、不思議に、欠点ばかりをみることから解放されてゆくのではないでしょうか。家庭の主人は、夫でも妻でもなく神さま。それが、結婚生活を支える秘訣です。
「それで人はその父と母を離れて、
妻と結び合い、一体となるのである。」
創世記 2:24 口語訳
~結婚は、神様が結びあわせてくれたもの。二人は一体で「ある」のではなく、努力して「なって」いくのではないでしょうか。一生をかけて夫婦になっていくのには、時間がかかります。ゆっくりで大丈夫です。
「だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、
すべて神の栄光のためにすべきである。」
コリント人への第一の手紙 10:31 口語訳
~結婚とは、相手を自分だけのものにしたいという、自己中心的なものではありません。真実の愛は、相手を相手として尊重することにあるのです。神様の栄光とは、神様の心を大切にすること。時々自分は自分の理想を相手に押し付けていないかチェックし、神様の心をなによりも大切にできますように。
「また主なる神は言われた、
「人がひとりでいるのは良くない。
彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」
創世記 2:18 口語訳
~相手は相手の人格があり個性があります。お互いに異なるということを意識していなければ、結婚してから「なんで自分の気持ちはわかってくれないの」「性格がどうしてあわないの」と絶望することになるでしょう。違うのは当たり前と思い、違いも楽しんでゆきましょう。
「わたしは神にむかい声をあげて叫ぶ。
わたしが神にむかって声をあげれば、 神はわたしに聞かれる。」
詩篇 77:1 口語訳
~結婚生活の危機は、辛い気持ちをいつまでも我慢していること。中途半端にせず、辛いことはしっかり話し合う時間をもちましょう。神さまがわたしたちに耳を傾けてくださるように、お互いに耳を傾けましょう。「ありがとう」と言うときは素直に言い、「ごめんない」というときも、心から謝りましょう。
「あなたがたが召されたのは、実に、
自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、
愛をもって互に仕えなさい。」
ガラテヤ人への手紙 5:13 口語訳
~愛をもって互いに仕えなさいとは、謙虚になって相手に耳を傾けることだと私は思います。ときには、話し合う時間をもって、ゆっくり気持ちを話しあえますように。また、夫婦のありかたに迷ったら、二人で神父さんや、牧師さん、信頼できる友人のところにいってみましょう。新しい気付きを与えられ、生きる勇気になるでしょう。一人でなにもかも、背負う必要はないと思います。
「詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、
主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。」
エペソ人への手紙 5:19 口語訳
~聖書のみ言葉に一緒に耳を傾けたとき、疲れた心も癒されてゆきます。心の居場所は、神さまにあるのです。
「夫たる者よ、妻を愛しなさい。つらくあたってはいけない。」
コロサイ人への手紙 3:19 口語訳
~つらくあたってはいけないとは、精神的・肉体的に、絶対に暴力をふるってはいけないことです。距離をおくのも子供や自分の命を守るために大切なこと。暴力をふるわれていたら、教会や相談機関、警察に助けを求めましょう。
片柳神父のブログより
~二人が一体であるというのは、相手の身に起こることを、そのまま自分に起こることとして受け止める。相手の喜びを自分の喜びとして喜び、相手の苦しみを自分の苦しみとして苦しむということでしょう。互いが互いを思いやり、労わることの究極の理想が、一体という言葉に込められていると思います。
~この不完全さの自覚こそが、わたしたち人間を結び付ける鍵になると思います。もし自分が完全な人間だと思い込み、「あの人はなぜわたしの思い通りにしてくれないのだ」とか、「あの人は何もわかっていない」と思うようになれば、結婚の絆は危機にさらされるでしょう。自分一人でも幸せに生きていけるけれど、相手がいれば便利だというくらいの思いから生まれる絆は、いつ切れてしまってもおかしくないほど弱い絆だと思います。
ですが、自分は不完全な者であり、自分一人では何も正しく考えることができない、結ばれていなけれは一日たりとも幸せに暮らすことができないという自覚があれば、わたしたちはいつまでも円満に結婚生活を続けていくことができるはずです。
~愛されている人が、愛してくれる人に向かい合うとき、口から出てくる言葉は感謝の「ありがとう」と反省の「ごめんなさい」に要約されると言ってもいいかもしれません。愛をしっかり受け止められたか、それとも受け止め損ねてしまったのか。親子であっても、夫婦であっても、友だちどうしであっても、愛しあう者同士のコミュニケーションは、この二つの言葉から始まると言っていいでしょう。神様とのコミュニケーションも同じ。まず、「ありがとう」と「ごめんなさい」から神様との対話を始めてみましょう。
~マザーの次の言葉は、結婚の召命を生き抜くためにきっと大きな手がかりになるでしょう。「どこから愛を始めたらいいのでしょうか。それは家庭からです。どのように愛し始めたらいいのでしょうか。それは祈りによってです。祈りはいつもわたしたちに清い心を与えてくれます。そして清い心は、神を見ることができるのです。もしわたしたちが互いの中に神を見るならば、自然に愛し合うようになるでしょう。」