マイペースでゆこう(聖書の言葉)


目次

1、充電しよう

2、完璧じゃなくてもいいんだよ

3、背負っている荷物を整理してみませんか

4、マイペース

5、仲間がついています

6、違うから美しいのです


1、充電しよう

すべて重荷を負うて苦労している者は、

わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。

マタイによる福音書 11:28 口語訳

~人は疲れることはあります。人間関係のトラブル、夫婦、友人、家族とのトラブル。職場でうまくいかない。自分の思い通りにいかないとき、すべてを投げたしたくなるときがあります。まず、不安や恐れを、ありのままに感じてよいのだと思います。自分の気持ちを否定しなくても良いのです。神さまは、ありのままの私たちの気持ちに寄り添ってくださいます。疲れた時は、「神さま、疲れました。泣きたい気分です」と告白してよいのです。まずは、神様に気持ちをはきだしましょう。決して焦らなくてよいのです。そこからです。

 イエスは、一緒に涙をながしてくださいます。「もっと、しっかりしていなさい」とは決して言わない方。「我慢しなくていいんだよ。ゆっくり私のところで休んでいってね」と慰めてくれる方。心の休憩地は、イエスにあるのです。心の休憩地でゆっくり休む中で、「私は愛されているんだ。私は神さまの大切な子供」という自尊心が生まれてきます。そのイエスの愛こそ、生きる希望。朝に昼に夕に、どんなときも「イエスは、私を愛してくださる。私は愛されている」と、繰り返しつぶやいてみましょう。辛い時は、花を咲かせる必要はない、という言葉があります。咲かせられない時があるからです。疲れた時はまず休みませんか。立ち止まってもいいのです。


2、完璧じゃなくてもいいんだよ

ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分であるわたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。

コリント人への第二の手紙 12:9‭-‬10口語訳

~完璧な人間になろうとしているときがあります。しかし、完璧な人はいないのです。

イエスは完璧な方でした。本来弟子など必要ありません。効率を考えると、失敗なく1人でするほうが、福音宣教(キリスト教伝道)もまちがいなくすすみ、過ちも犯さなくてすみます。しかしイエスは、完璧で1人でする宣教ではなく、失敗もあるけれど弟子たちを必要とする道を選びとりました。過ちを赦しあい、わかちあう仲間をつくりました。私たちも、自分で完璧を目指すのではなく、わかちあい、助け合えばよいことを、イエスは示しているのです。

もっと神様に差し上げるものができたら神様に従える、と誤解しなくてよいのです。今ある姿で、たとえ何ももたなくても、神さまはあなたを愛してくださる方。人格がすぐれていたら神様に必要とされると、この社会の価値観は支配しているかもしれません。もしそうであれば、誰もイエスの弟子などなれません。完璧な存在はどこにもいないからです。神様は、完璧になるまで待ちなさいと言わない方。失敗を通して少しずつ成長させてくださるのです。等身大の自分で「あなたで大丈夫。あなたのままで輝いて」と、優しく呼びかけてくださるのです。

 


3、背負っている荷物を整理してみませんか

するとイエスは彼らに言われた、「さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」。それは、出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。

マルコによる福音書 6:31 口語訳

~背負っている荷物をチェックしてみませんか。荷物を軽くし本当に背負うべき荷物だけを両肩で背負い再び歩きだすことができます。重たすぎた時は神さまのところにきてゆっくり休み、荷物を軽くすればよいのです。時々、自分の背負っている荷物をチェックする必要があるかもしれません。神さまに祈り、信頼できる誰かに困っていることを相談してみましょう。神さまは、私たちが無理をして生きることは、望まれていません。体が動かない時は、無理をしないで助けてもらえばよいのです。私たちは余計な荷物を捨てるとき、本当に大切なものはわずかであることに、気づかされます。自分のちょうどいい荷物を背負って、喜んで歩いてゆきましょう。回復したときは、喜んで他人の弱さを支えてあげましょう。困っている人をほおっておくことなく、寄り添うだけでもいいのです。互いに支えあってゆけますように。

 


4、マイペース

天が下のすべての事には季節があり、

すべてのわざには時がある。

旧約聖書、伝道の書 3:1 口語訳

~種をまいても、花を咲かせるのには時間がかかります。待つ時間が必要なのです。神さまはわたしたちが、自分の花を咲かせるために、いつまでも待っていてくれます。

困難な時は、花をつけられないときがあります。渡辺和子さんは、「どうしても咲けない時もあります。・・・そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へ降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために」と記しておられます。困難があるからこそ、根は下へ降ろして、次に咲く花が、より大きく美しくなるのです。私たちの人生も同じ。困難があればあるからこそ、人生は美しく輝くのです。

自分の花を咲かそうと、急ぐ必要はないと私は思います。一人一人には違うペースがあるからです。神さまはあなたのペースを尊重してくださいます。

桜のように春に咲く花もあり、ひまわりのように夏に咲く花もあります。一人一人にはそれぞれ違った季節に咲かせる花があるかもしれません。咲かせない季節があってもいいのです。そんなときは、渡辺和子さんが言ったように根を下へ下へ降ろせばよいのです。次に咲く花がより大きくより美しくなるでしょう。時期がきたら神さまはきっと、あなただけの花を咲かせてくれるでしょう。


5、仲間がついています

御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。

ローマ人への手紙 8:26 口語訳

~「ありのままの気持ちを言ってもいいよ」と伝えられたら、私たちは楽な気持ちになります。私たちは、嬉しい気持ちだけではなく、時には悲しい気持ちや、辛い気持ちを抱えて生活しています。それを吐き出せる場所があれば、私たちは自分を取り戻し、心の重荷をおろすことができます。心が混乱している時は、自分の気持ちに整理がつかないことがあります。そういう時は、誰かに協力してもらいましょう。相手と話す中で何が一番の問題なのか、少しずつ心が整理されてゆくでしょう。

私たちは、一人一人が光です。時には自分の光が弱ってしまうほど、精神的に落ち込んでしまうときがあります。そんな時は、周りの人に照らしてもらえばよいのです。そうすると、自分の問題が周りの人の愛の光に照らされてはっきり見えるようになります。自分の光が消えそうになっていたら神様や隣人の愛の光に照らされて自分を取り戻しましょう。一人で頑張らなくても大丈夫です。いつもどんなときも神さまや仲間たちがついています。自分が弱ったときは、周りの人に助けてもらう勇気をもちたいと、私は思います。

 


6、違うから美しいのです

神はお造りになったすべてのものを御覧になった。

見よ、それは極めて良かった。

創世記 1:31新共同訳

神様に作られたこの世界は神様の愛で満たされています。季節ごとに神様は異なる花を見せてくださいます。神様は道端に咲いていた花も、懸命に生きる鳥たちも忘れることなく、神様の愛の中で生かされています。道端に咲いている花は、神様に作られた色を持ち、自分の花を咲かせます。童謡のチューリップの花、という曲があります。「さいた さいた チューリップの 花が ならんだ ならんだ 赤 白 黄色 どの花みても きれいだな 」という歌詞です。チューリップは、5600以上の品種があります。赤色、白、黄色。色は違いますが、神様に作られた自分の色を、精一杯咲かせます。違っていても、綺麗なのです。ましてや、私たち人は、神様がどれほど計画されて、一人一人を作られたでしょうか。自信がないときは、神さまに大切に作られているのを忘れた時。なにもできなかったとしても、「人はいるだけで、かけがえのない大切な存在」なのです。野の花は、「私は、私以外の花にはなれません。できることは、自分の花を咲かせるだけ」と、神様に造られた自分に満足しているかのようです。

弱ったりしているとき、花を咲かせられない時もあるかもしれません。そういうときは、体も心もゆっくり休ませてよいのです。涙をながしてよいのです。花を咲かせられない自分であっても、それでもなお神さまは、私たちを変わらずに愛してくださる方。神さまの愛を、まっすぐ受け止めることができますように。

 

みんなが使徒だろうか。

みんなが預言者だろうか。

みんなが教師だろうか。

みんなが力あるわざを行う者だろうか。

コリント人への第一の手紙 12:29口語訳

 ~私たち一人一人はユニークな存在として創られました。一人一人は違った個性を持っています。それは、母親のお腹に宿ったときから、それぞれ違った個性がある存在として神様は決めておられました。内向的な人もいますし、外交的な人もいます。他人と比べて優劣をつけなくてよいのです。今の自分を見て、「こんな私で本当に良かった」と喜んでよいのです。「神さま、私をこのように造ってくださって、ありがとうございます」と祈り感謝するとき、神様は喜んでくださるのです。私たちにできるのは、神さまに「ありがとう」と感謝を伝えることです。今日も自分自身にワクワクし、歩んでゆけますように。