目次
1、いてくれてありがとう
2、ゆるされて生きる
3、ありのままの自分を受け入れて
4、他の誰かになる必要はありません
5、遊ぶ時間と休む時間
「初めに神は天と地とを創造された。 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。」
創世記 1:1-3 口語訳
~一人ひとりは偶然に生まれてきたのではありません。陶芸家が大切に作品を創るように、神様は一人ひとりをかけがえのない存在として創られました。
聖書には、
「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。 決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。」
エペソ人への手紙 2:8-9 口語訳
と書いてあります。
大嶋重徳牧師はラジオ放送の『世の光』で、
『現代は、人の価値が生産性で測られる時代です。会社の役に立っているのか、社会の役に立っているのか、家族の役に立っているのか、そこに生産性があるのかということを問われる時代です。・・・では、キリスト教信仰は、何をもって人の価値が図られるのでしょうか。それは、あなたがそこにいてくれることです。』と言っています。
花を創られた神さまは、そこに花が咲いているだけで花を愛してくださる方。人も同じ。私たちが何か特別なことをしたから、何か凄いことが出来るから愛されるのではなく、「ただそこにいるだけ」で愛してくださるのです。聖書には、神さまが天地を創造された、と書かれています。神さまは世界を創造されたとき、神さまの思いが聖書に書かれています。
「神が造ったすべての物を見られたところ、
それは、はなはだ良かった。
夕となり、また朝となった。第六日である。」
創世記 1:31 口語訳
~神さまは造られたものを見て「良かった」と言われました。神さまは「あなたがいてくれて、本当に良かった」と喜んでくださる方なのです。
マザーは
「だれもが神ご自身の子どもです。・・・
どこでもわたしたちは兄弟姉妹です。」『愛-日本人へのメッセージ』(三保元訳、女子パウロ会編、21頁)と言っています。
神さまからみれば、誰もが神様に愛された子ども。神さまに愛された自分自身に、誇りをもつことができますように。そして、隣人も欠点ではなくよいところをみつけだし、相手の美しさに感動することができますように。
また、
「注がれる神の愛に心を開いてください」
『愛と祈りのことば』(渡辺和子訳、PHP、43頁)と言います。さらに、
「ありのままでイエスから愛されるためには、ただこころを開くだけでいいのです。残りのことはイエスがしてくれます。」『愛する子どもたちへ』(片柳弘史写真・編訳、ドンボスコ社、19頁)と言います。
愛されるために特別なことは必要ないのです。ただ心を開き、神さまの愛をうけとるだけでよいのです。
マザーは
「持てば持つほど、わたしたちは物によって縛られ、わずかなものしか与えることができなくなります。持つ物が少なければ少ないほど、わたしたちは自由になるのです。」『わたしはあなたを忘れない』(片柳弘史写真・編訳、ドンボスコ社、34頁)
と言います。必要最小限こそ、自由になれる秘訣ではないでしょうか。自分が背負っている荷物を時々チェックしてみたいと思います。「もっと地位がほしい、もっと認めてほしい」という要求が、時には荷物となって、それが私たちを苦しめてしまいます。「私は神さまから愛されている。それだけで私は十分幸せだ」と感謝するとき、荷物を少しずつおろすことができるでしょう。
「兄弟たちよ。
わたしたちのためにも、祈ってほしい。」
テサロニケ人への第一の手紙 5:25 口語訳
マザーは
「ゆるすのに大きな愛を心にもたなければなりません。・・・そしてまた同時に、自分たちもゆるされなければならないことをわきまえなければなりません。」
『愛-日本人へのメッセージ』(61頁)
と言います。他人はゆるせても、自分自身をゆるせない時があります。「もっと優れていなければ駄目だ」と思い込んでしまうからです。人はどんなにがんばっても弱さを抱えています。人にできるのは自分の限界を認め、神さまの愛を信じることではないでしょうか。
マザーは
「もしイエスがわたしたちのこころの中にいるのならば、彼に祈ってもらうことです。」
『わたしはあなたを忘れない』(片柳弘史写真・編訳、ドンボスコ社、28頁)
と言います。パウロは初代教会のリーダーでした。しかしパウロは自分の弱さを認めクリスチャンたちに「祈ってください」と助けを求めました。強いリーダーではなく、自分の弱さを認められる弱いリーダを神さまは用いられたのです。なにもかも一人のみでしなくてもよいのです。
マザーは
「わたしは神の手の中にある小さな鉛筆のようなものです。神が考え、神が書くのです。」
『わたしはあなたを忘れない』(32頁)
と言います。人は、「こんな事は無駄だ」と、自分の人生を否定してしまうことさえあります。しかし、わたしたちの人生で起こることに決して無駄はありません。「いつも成功していなければ」と焦る必要はありません。神様は人が失敗しようと、そこから新しいことを学び成長させてくださる方です。
片柳神父が言っていますが、人は絵をかくとき間違った線をひくことがあります。しかし神さまは、その間違った線さえも美しい絵の一部にしてくださいます。
失敗することを恐れる時代です。イエス様の弟子たちは、イエスが十字架にかけられた時、みんなイエスを捨てて逃げてゆきました。しかし、復活したイエスはそんな弟子たちをゆるしました。イエスは、ちっとも恨んでいなかったのです。弟子たちはゆるされた経験をしました。弟子は、「こんな私をゆるしてくれた」という喜びにあふれたでしょう。
マザーは、
「もし私たちが願うなら、
人が失敗したときでも、
神は、方法を見つけてくださいます。」
『マザー・テレサ日々のことば』(ジャヤ・チャリハ、エドワード・レ・ジョリー編、いまなすみかこ訳、女子パウロ会、175頁)
と言います。神は新しい方法を見つけ出してくださるのです。失敗を恐れず、失敗を成長の力にして歩んでゆけますように。
「主はきて立ち、前のように、「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれたので、
サムエルは言った、「しもべは聞きます。お話しください」。」
サムエル記上 3:10 口語訳
~人は、自分の固定観念にこだわってしまいがちです。「あなたは、かけがえのない存在」と言われても、「そんなのは信じられない」と疑ってしまいがちです。人には、自分の考え方を捨てきれない性質があるようです。
聖書に、
「努めてこれをあなたの子らに教え、
あなたが家に座している時も、
道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、
これについて語らなければならない。」
申命記 6:7 口語訳
と書いてあります。子育てをするとき、聖書の言葉を子供たちに繰り返し聞かせる大切さが書かれています。ここに、安心への一歩があるように感じます。
マザーは
「福音とは、神が私たち一人ひとりを愛しているということです。」『わたしはあなたを忘れない』(66頁)
と言っています。私はここに聖書の要約があるように感じました。それは「神さまはあなたを愛している」ということです。
マザーは
「神はわたしたちを創造されたとき、わたしたちを愛から創りました。神は愛なのですから、他の説明はありません。そして、神はわたしたちを愛するため、そして愛されるために創られたのです。」『わたしはあなたを忘れない』(62頁)
と言っています。他人に愛されることや、助けられることをつい断ってしまいまいがちです。もちろん、愛することは大切です。しかし、同じくらい愛されることも大切なのではないでしょうか。「愛されるなんて甘えだ」と、悪魔は誘惑してくるかもしれません。しかし、悪魔の策略にはのらず、「私は神さまに愛されている」と確信する勇気をもち、すべての人の命をかけがえのない存在として、大切にしてゆきたいと思います。
マザーは
「子どものように単純な信仰をもってあなたを信頼することができるように、すべてのずるさと世俗への執着を、わたしのこころから取り去ってください。」『聖なる者となりなさい』(片柳弘史写真・編訳、ドンボスコ社、12頁)
と言います。
親の愛を疑うのではなく「神様は私を愛している。私は愛されている大切な存在」と、単純でよいと思います。世俗への執着とは「人間に認められたい」といつも気にして心配することだと思います。
マザーは
「もしも私たちが謙遜ならば、ほめられようと、けなされようと、私たちは気にしません。もし誰かが非難しても、がっかりすることはありません。反対に、誰かがほめてくれたとしても、それで自分が偉くなったように思うこともありません。」『愛と祈りのことば』(渡辺和子訳、PHP、103頁)
と言います。謙遜になりありのままの自分を受け入れていれば、どんな評価も左右されないのです。
最近はSNSがはやっていますが、つい人間の評価を気にして、振り回されることがあるかもしれません。評価されれば気分があがり、評価されなければ気分がさがる。そんな一日では疲れはててしまいます。
たとえ評価されてもされなくても、神さまからの評価はかわりません。神さまはいつも、「あなたは大切な存在。あなたは愛されている」と伝えてくださるのです。悪口にもお世辞にも左右されないのは、神さまの愛があるからだと思います。
「わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う。思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。」
ローマ人への手紙 12:3 口語訳
~一人一人に信仰の度合いがあるということは、「みんな違う」ということではないでしょうか。
マザーは
「わたしの子どもたちよ、イエスから愛されるために自分と違ったものになる必要はありません。」『愛する子どもたちへ』(19頁)
と言います。一人ひとりは神さまのオリジナルです。出典は不明ですが、ネットでマザーの言葉として
「あなたは、あなたであればいい。
May you be content with yourself just the way you are.」と書いてありました。
パウロは、
「創造者こそ永遠にほむべきものである。」
ローマ人への手紙 1:25 口語訳
といいます。神さまは私たちを大切に創った芸術家でありCreatorです。一人ひとり神さまの手によって、愛をこめて作られました。一人ひとりは神さまの最高傑作。神さまに失敗はなく、誰もが大切な存在なのです。
マザーは
「あなたたちができることをわたしたちはできませんし、わたしたちができることをあなたたちはできません。でも、一緒になれば神様のために何か美しいことができます。」『わたしはあなたを忘れない』(56頁)
と言います。神さまは一人一人に異なる役割を与えられました。自分のできることを精一杯して、できないことは協力すればよいと思います。無駄なプライドは捨てて、ありのままの自分で勝負しましょう。
イエスは
「真理はあなたたちを自由にする。」
ヨハネ8・32
と言います。真理と、イエスのことでしょう。イエスは私たちを自由にし、「こうでなければならない」という束縛から回復してくださいます。自分らしさとは、「私は神様に創られたから、私は私のままで大丈夫」という安心感だと思います。
片柳神父は『あなたのままで輝いて』(PHP)で
『幸せは何でしょう。それは、現実をあるがままに受け止め、感謝して生きることだと思います。自分の人生に多くを求めすきず、与えられたものに満足できる人は、どんな状況に置かれたとしても幸せな人生を送ることができるのです。』
と書いています。自分の思った通りにならない相手を、そして自分自身をゆるしてあげたいと思います。神様は、わたしたちが理想から離れていても、現実の私たちを受け止めてくださる方です。人生が「こうでなければならない」という思い込みを捨てたとき、道は一本道ではないことに気づきます。神様は時に人を遠回りさせることがあります。その道には素敵な花が咲いているかもしれません。走ってばかりいては、花の美しさに気づくことはできないでしょう。ゆっくり、神さまが準備してくれた自分の道を楽しんで歩んでゆきましょう。
自分が分からなく将来の展望が見つからないときもあるでしょう。一番の対応策は、
「絶えず祈りなさい。」
1テサロニケ5・7
と聖書に書いているように、神に祈ることだと思います。祈りを通して心が整理され、自分がみえてきます。また、自分を知るためには、とにかく色々やってみることです。完璧になるまで待つ必要はないと思います。神様は失敗さえも宝物にして、少しずつ成長させてくださる方。色々する中で、自分ができることやできないことを知るでしょう。「これくらいの自分で良いか」と、ちょうどよい自分を受け止めてよいと思います。
片柳神父は『ほんとうの自分になるために』(PHP)で
「タンポポにはタンポポの花が、バラにはバラの花が咲くように育てましょう。タンポポに無理やりバラの花を咲かせるようにしても、うまくゆくはずがありません。一人ひとりが、自分の花を咲かせられるように育てましょう」
といいます。人は、それぞれ異なる花を持っています。祈りのなかで「私は何ができて、何ができないか」を神様に聞いてみましょう。祈るとき、神さまがすべてを教えてくださいます。
「第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」。」
マルコによる福音書 12:31 口語訳
~周りには困っている人がたくさんいます。自分が今すべきことが見えてくると思います。
マザーは
「最も悲しむべき貧しさは、
愛されていないということなのです。」『愛のこころ、最後の祈り』(ベッキー・ベネネイト編、主婦の友社、80頁)
と言います。
マザーは自分の使命について、次のように語ります『生命あるすべてのものに』(85頁)。
『愛されず、嫌われている人びとに、
やさしい愛の手をさしのべて
お世話しています。
それが、世界での
私たちの使命なのです。』
マザーの使命は、
「私は必要とされていない」という人に、
「あなたはこの世にのぞまれて生まれてきたたいせつな人。・・・あなたは同じ神さまがおつくりになった同じ神さまのこどもです。」『マザー・テレサ愛のことば』(いもとようこ絵、女子パウロ会)
と伝えることでした。愛することは、私たちの使命でもないでしょうか。もし「自分には愛することはできない」と思うなら、愛するとは一つの方法だけだと、思い込んでいるからではないでしょうか。
たとえば、病気で寝たきりの方を覚え「神様、病気の人をお守りください」と祈ることができます。幼い子どもが1円かもしれませんが、赤い羽募金や困っている人を覚えて差し出すとき、その募金は比較できなく価値がある愛ではないでしょうか。
特別なことや、目立つことはできないかもしれません。しかし、どんなに困難のなかにあっても、隣人に神さまの祝福があるように祈ることができると思います。
中井俊己著『マザー・テレサ愛の花束』(PHP、154頁)には、マザー・テレサの修道会のはじめの次のようなエピソードが書かれています。
『当初、これから始める修道会の食事は、貧しい人と同じように米と塩だけにしようと考えていました。しかし、長年医療看護の仕事をしてきたシスターたちは反対します。
「そんなことをしたら、どんなに元気で若い人だって病気になってしまいます。そうなったら、貧しい人のために働くことなどできません。仕事をするためには、きちんとした食事をとるべきです。」マザー・テレサは、そのアドバイスにも素直に従いました。』
このエピソードを読んでから、仕事も大切ですが、楽しく遊び、しっかり休むことも大切だと思いました。
カルカッタの孤児の家の壁には、こんな看板がかかっているそうです。
「遊ぶ時間を持ちなさい
愛し、愛される時間を持ちなさい
与える時間を持ちなさい」
ルシンダ・ヴァーディ編『マザー・テレサを語る』(猪熊弘子訳、早川書房、126頁)。
マザーは
「まず、私たちの心にその平和と幸せを持たなければなりません。そしてはじめて私たちは与えることができ、人びとに愛を持った行いができるのです。」
『生命あるすべてのものに』(講談社、72頁)、
「自分の心のなかに平和を持っていなければ、
平和のために働くことも、
もたらすこともできません。」(78頁)
と言います。忙しすぎて、自分の心に平和がなければ、他人を大切にすることは難しくなると思いました。愛するためにも、ゆとりをもって、自分の心に平和が必要だと思います。
イエスは、疲れた弟子たちに、
「するとイエスは彼らに言われた、「さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」。それは、出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。」
マルコによる福音書 6:31 口語訳
と声をかけられました。イエスはわたしたちに、「疲れてないかい。大丈夫かい」と心配してくださる方です。イエスも疲れているのに、弟子たちのことが愛おしくてたまらなく、心配したのでしょう。イエスは、「静かな場所(quiet place )に行って休みなさい」と言われます。愛することも大切ですが、愛されることも同じくらい大切なことだと思いました。
・『愛と祈りのことば』(ホセ・ルイス・ゴンザレス・バラド編、渡辺和子訳、PHP)
・『愛-マザーテレサ 日本人へのメッセージ』(三保元訳、女子パウロ会編)
・『愛のこころ、最後の祈り』(ベッキー・ベネネイト編、主婦の友社)
・『マザー・テレサ愛のことば』(いもとようこ絵、女子パウロ会)
・ルシンダ・ヴァーディ編『マザー・テレサを語る』(猪熊弘子訳、早川書房)
・『マザー・テレサ日々のことば』(ジャヤ・チャリハ、エドワード・レ・ジョリー編、いまなすみかこ訳、女子パウロ会)
・ルシンダ・ヴァーディ編『マザー・テレサを語る』(猪熊弘子訳、早川書房)
・『愛する子どもたちへ』(片柳弘史写真・編訳、ドンボスコ社)
・『わたしはあなたを忘れない』(片柳弘史写真・編訳、ドンボスコ社)
・『聖なる者となりなさい』(片柳弘史写真・編訳、ドンボスコ社)
・片柳弘史著『ほんとうの自分になるために』(PHP)
・片柳弘史著『日めくり 超訳マザー・テレサ』(PHP)
・片柳弘史著『世界で一番たいせつなあなたへ』(PHP )
マザー・テレサの本を色々読んでみましたが、次の三冊はわかりやすかったです。
片柳弘史著『世界で一番たいせつなあなたへ』(PHP)
片柳弘史著『あなたのままで輝いて』(PHP)
片柳弘史著『ほんとうの自分になるために』(PHP)