生きる~三浦綾子さんと片柳弘史神父の本との出会い


※写真は、三浦綾子著『道ありき』の文庫と、私のkindleアプリの中です。また三冊の写真はわたしの母がもっていて私が実際に読んだ本です。



1、私の学生のとき

「綾ちゃん、生きるということは、ぼくたち人間の権利ではなくて、義務なのですよ。義務というのは、読んで字のとおり、ただしいつとめなのですよ」 

この言葉は、わたしをふるい起した。 

(そうか。生きるということは、義務だったのか。義務ならば、どんな苦しいことがあっても、まず生きなければならない)

三浦綾子著『道ありき』(新潮文庫)より

私がよんだのは文庫ではなく単行本でした。出版社は、主婦の友から出版されていました。最近はAmazonのkindleアプリの電子文庫(小学館刊)で、三浦綾子さんの作品を私は読んでいます。小説は登場人物をおぼえきれなく、綾子さんの自伝やエッセイを中心によんでいます。

 

私はいじめられ学校にいけなくなりました。コミュニケーションがとれないことや、他人の顔をみれなく、

「お前は気持ち悪い」

「学校にこさせなくしてやる」

などいわれました。それからしばらく外出ができなくなりました。

学校にいけなくなってから、自宅に母の持っていた、三浦綾子(1922ー1999、日本語wikipedia)さんの書いた『道ありき』『この土の器をも』『光あるうちに』がありました。読書はあまり好きでなかったのですが、なぜか1日することもなかったので、読んでみた記憶があります。

『道ありき』には三浦(旧姓は堀田)綾子さんが、前川正さんというクリスチャンからいわれた言葉がかかれていました。それが「生きることは義務である」という言葉です。

「生きることは義務で、生きることを喜んでくださる神がいる」と思い、三浦綾子さんの信じているイエスにひかれました。

 

★キリスト教は気持ち悪い

しかし私は、正直にいうとそのころキリスト教は「気持ちのわるいもの」だと思っていました。

自分が学校で「気持ち悪い」といわれていたので、その表現がなぜか私はキリスト教に対して使っていた記憶があります。

なぜみんなと違う神を信じるのか、日本人としておかしいと思いました。イスラエルの、しかも十字架で死刑にされたイエスと私かどんな関係があるのかもさっぱりわかりませんでした。しかし、三浦綾子さんの書いた作品は、私をイエスに確実に導いてくれました。

 

※そのころの気持ちを正直にかきました。失礼な表現などあるかもしれません。

すいませんです(T_T)


2、新社会人になって就職してから

(※自宅の本だなです。聖書と片柳神父の作品を大切にしています。)

 

就職してから他人の顔がみれないことや、コミュニケーションがとれなく、会社から発達障がいの検査をすすめられました。

黒はかっこいいと思い、黒いネクタイをしていました。次の日は、真っ赤な短パンにしたり混乱してました。私は服装もなにをきたらよいのかなど、わかりませんでした。

「私は職場に私は病気ではない」と否定していました。しかし精神科にかようなかで、発達障がいと診断されました。

「仕事ができない人」

「他人の気持ちのわからない人」

など、さまざまに言われた記憶があります。対人緊張で私はたまに止まって休憩しないと仕事がができなく、

「また休んでいるのか。

人の半分しか仕事ができないね」

と、注意されました。

ただ体も動かなくなってしまいました。二次障害でうつ病にかかってしまったのです。

私はいきることをやめる計画をたてました。朝から寝るまで、あたまのなかで「あなたは役にたたない人」という思考がとまらなく、もがいていました。思考をとめたくてもガムテープのようにベタベタ脳にはりつくのです。周りが心配してくれて退職し、精神科病院に入院となりました。

 

Twitter

それからあまり記憶はないのですが、Twitterをはじめていました。なぜ、Twitterをはじめたのかもわかりません。しかし、はじめていました。

片柳弘史神父のツイート(投稿)を誰かのリツイート(誰かのツイートを再投稿すること)で、はじめてみました。

フォローして神父のツイートを、薬の副作用からかぼんやりみていました。しかし、自分でも心がリラックスし、落ち着くのを感じました。

神父の言葉や聖書をよむと私はスマイルになっていました。

「あれ?」

と思いました。

私は、片柳神父のブログ(外部サイト)のバイブルエッセイと、祈りの小箱を読みこみました。

あれ?聖書って、

こんなに楽しかったかな」

と思ってしまいました・・・。

確かにイスラエルの文化などの背景がわからなく、なぜ神を主(しゅ)とユダヤの方たちはいうのか理解できませんでした。

私のアタマでは主ときいても、ぼんやりして頭に入ってこないのです。しかし今は、イスラエルの歴史や文化がわかり、少しずつですがまなんでいます。

 

薬があってきました

幸いなことに、主治医が抗うつ薬も色々試してくれました。あうまではたびたび薬がかわり、苦しかったです。

薬の副作用にアカシジアとよばれるものがあり、足がとまらなくなったり、布団を蹴っ飛ばしたりしました。アキネトンという、その副作用どめがあるみたいですが、私はなぜか飲むと嘔吐してしまう傾向がありましたしかし自分にぴったりの抗うつ薬にやっと出会ってからは、副作用はなくなり、めちゃくちゃ楽になりました。現在もその薬は飲んでいます。

 

生きる

旧約聖書に十戒(じっかい)が書かれていす。そのなかに、

あなたは殺してはならない。

旧約聖書

出エジプト記 20:13 口語訳

とあります。

この聖書の言葉をよみ私はなぜか、「あなたは生きてほしい(自分も殺してはならない)」と、神さまからの愛の言葉にきこえたのです。「ほしい」ではなく、「生きなさい」と命令してきたように感じました。

私は「イエスよ。いきるのはしんどいです」と反論した記憶があります。しかし、イエスの命令は束縛して不自由にするのではなく、自由にしてくれるものでした。

 

聖書は生活をシンプルにしてくれた

私は子供のころレストランにいくと、「好きなメニューを選らんで」と親に言われても、きめられない記憶があります。

自由は、あまりにも私には広すぎて不自由になりました。ある程度しぼってシンプルにしてくれると助かりました。

聖書も、生活をシンプルにして荷物を軽くしてくれるものかもしれません。「殺してはならない」が、「あなたがいきるのは私の喜び」とイエスが言っている気がしました。わたしは生きようとおもいました。

 

片柳弘史著

始まりのことば』 (教文館刊、リンクは、私の別サイトでの本の紹介です。

疲れた者、重荷を負う者は、

だれでもわたしのもとに来なさい。

休ませてあげよう。

(マタ11・28)

~片柳神父は

神さまの前に荷物を置き、苦しい気持ちを打ち明けましょう。わたしたちが差し出した苦しさを、神さまはしっかり受け止め、共に担ってくださいます。

と書いています。

~※本を読んで思ったことです。

重たい荷物だとせっかくの旅行も台無しになると思いました。必要最小限のもので荷物を軽くすると、楽しく旅をしてゆけると思いました。また疲れたときは進むだけではなく、ゆっくり宿で、休んでもよいのではないでしょうか。疲れた時は体をいたわってあげたいです。

 

★現在のこと

私は劣等感と罪悪感だけは現在もあり、精神科で治療中です

しかしTwitterのみなさんや、作業所や病院のみなさん、教会の方たち、イエスにささえられて私は生活しています。たくさんの方に支えられて心から感謝しています、以上に、私の体験を一部かきました。記憶がぼんやりしていたり、不正確なか所もあるかもしれませんがおゆるしください。

 

学校にいかなくなってから読んだ本

最後に三浦綾子さんの書いた『光あるうちに』から、ある実話を紹介します。私が学校にいかなくなり読んだ本で、特にインパクトがあった実話です。

 

明治四十二年二月二十八日、長野さんが名寄に出張した帰途、その乗っている車両が塩狩峠で突然、分離逆走した。連結器の故障であった。乗客は忽ち色を失い、周章狼狽した。転覆事故を恐れたのである。 その時、長野さんは一瞬手を合わせて祈ったかと思うと、直に凍りついたデッキに飛び出し、ハンドブレーキを廻して汽車を徐行させた。が、自ら体を以て歯どめになろうとしたのか、線路上に飛び降り、列車は長野さんの体に乗って完全に停止、乗客全員の命は無事助かった。長野さんは、このときまだ三十歳の独身青年であった。 この事件は、当時の旭川、札幌の人々を奮起させ、長野さんの写真と、常持していた遺書は絵はがきとなって売り出された。長野さんはわたしの小説、「塩狩峠」の主人公永野信夫のモデルである。 

三浦綾子著『光あるうちに』(新潮文庫)より


塩狩峠の動画


三浦綾子記念文学館

三浦綾子さんの故郷の、北海道旭川市にあります。一度だけ、親がつれていってくれました。


・三浦綾子記念文学館(公式サイト)

https://www.hyouten.com/