目次
はじめに
1、タルソスでうまれローマ市民権があった
2、職業はテント職人もしていた
3、ファリサイ派で、ヘブライ人
4、パウロは、ステファノの殺害に賛同する
5、クリスチャンを迫害する
6、回心(33年頃)
7、バルナバに助けられて、エルサレムへ行く(36年ころ)
8、異邦人伝道の拠点となったアンテオケ
9、1回目の宣教旅行
(使徒13-14章、47年~48年)
10、パウロとよばれる
11、エルサレム会議
(使徒15章、紀元49年頃)
12、第2回宣教旅行
(使徒15:36-18:22)
13、宣教の旅で様々な迫害にあう
14、第3回宣教旅行
(使徒18・22~21・6、53年~56年ころ )
15、信仰によって
16、パウロは不安な気持ちを隠さなかった
17、マルコと和解した
18、パウロは謙遜だった
19、牢屋から書いた手紙もあった(獄中書簡)
20、パウロはなんらかの病気を持っていた
21、パウロは、協力者と助け合った
22、パウロは、仲間のサポートを必要とした
23、パウロは辛いこともあった
24、パウロの弟子のテモテも辛いことがあった
25、パウロには苦手なところがあった
26、パウロが最初に書いた手紙はどれですか?(N・T・ライトの学説)
27、ペテロをアンテオケで批判する
28、パウロに関するYoutube
29、パウロの言葉
30、パウロに関する映画
パウロ(ギリシャ語Παῦλος、ユダヤ名はサウロשָׁאוּל)は、ユダヤ教から生まれた一つの分派であるキリスト教を、現在のトルコやギリシャ、ローマへと宣教の旅をしてキリスト教を世界宗教へ貢献したユダヤ人です。ギリシャ語とヘブライ語を話すことができました。新約聖書にはパウロが書いた手紙として13冊おさめられています。
ローマの信徒への手紙
コリントの信徒への手紙一
コリントの信徒への手紙二
ガラテヤの信徒への手紙
エフェソの信徒への手紙
フィリピの信徒への手紙
コロサイの信徒への手紙
テサロニケの信徒への手紙一
テサロニケの信徒への手紙二
テモテへの手紙一
テモテへの手紙二
テトスへの手紙
フィレモンへの手紙
パウロは、大きく3回にわたってイエスを伝える宣教旅行をしました。その記録は、医師であるルカが記した使徒言行録(使徒の働き)に記録されています。ここでは、パウロとはどのような人物であったのかをまとめていきますね。
なおパウロについてはキートンさんの説明がわかりやすいです(^^)。また、英語のwikipedia(Paul)での説明もわかりやすいです。使徒の働きについては、↓のハーベストタイムのYoutube動画がわかりやすいです。
「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、
ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、
熱心に神に仕えていました。 わたしはこの道を迫害し、
男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。
使徒言行録 22:3-4 新共同訳
彼はタルソスという町で生まれたユダヤ人でした。
現在のトルコにあるタルスス(wikipedia)です。
ガマリエル(Wikipedia)とは、とても優秀なユダヤ教の長老であり、穏健な人であったとされます。
パウロは、「わたしは生まれながらローマ帝国の市民です」と言った。
使徒言行録 22:28 新共同訳
パウロは、ローマの市民権をもっていました。
ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、 職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。
使徒言行録 18:2-3 新共同訳
~パウロは、テント造り(スケーノポイオス)の仕事もしていました。テント職人とは、革細工職人だったと言われています。山羊の毛や亜麻糸が使われていたそうです。
わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。
フィリピ3:5-6新共同訳
~パウロは、宗教の教えもしっかり受け、律法もしっかり守っていました。しかし、それがあだとなって、律法を守っていないクリスチャンを迫害したのかもしれません。自分に厳しければ、他人にも厳しくなるのかもしれません。ファリサイ派(wikipedia)とはユダヤ教の一つの派閥で、庶民から愛されていました。ファリサイ派は、ユダヤ教の教えを日常生活の中で厳格に守ることに熱心でしたし、人々にも求めていました。
サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。
使徒言行録 8:1 新共同訳
~サウロとは、パウロのことです。サウロとは、ヘブライ語のユダヤ名です。ちなみに、パウロには、「小さな者」という意味があります。サウロは、クリスチャンになる前は教会を迫害し、ステファノ(wikipedia)というクリスチャンを殺害することに賛成していました。世界で最初のクリスチャンの殉教者といわれています。
さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、 ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。
使徒行伝 9:1-2 口語訳
あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。 また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。
ガラテヤの信徒への手紙 1:13-14 新共同訳
~クリスチャンを迫害するために、サウロ(パウロ)は必死でした。パウロは、過去は教会から恐れられていました。
わたしはキリキヤのタルソで生れたユダヤ人であるが、この都で育てられ、ガマリエルのひざもとで先祖伝来の律法について、きびしい薫陶を受け、今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者であった。 そして、この道を迫害し、男であれ女であれ、縛りあげて獄に投じ、彼らを死に至らせた。
使徒行伝 22:2-4 口語訳
~彼らを死に至らせた、と書いてあります。もしかして暴力的な手段も使っていたかもしれません。
しかし、サウロはあるとき、イエスと出会います。それは、使徒言行録(使徒の働き)9章に記されています。少し長いですが、大切な箇所なので記しておきます。
ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。 彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。 そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」。 サウロの同行者たちは物も言えずに立っていて、声だけは聞えたが、だれも見えなかった。 サウロは地から起き上がって目を開いてみたが、何も見えなかった。そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。 彼は三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった。 さて、ダマスコにアナニヤというひとりの弟子がいた。この人に主が幻の中に現れて、「アナニヤよ」とお呼びになった。彼は「主よ、わたしでございます」と答えた。 そこで主が彼に言われた、「立って、『真すぐ』という名の路地に行き、ユダの家でサウロというタルソ人を尋ねなさい。彼はいま祈っている。 彼はアナニヤという人がはいってきて、手を自分の上において再び見えるようにしてくれるのを、幻で見たのである」。 アナニヤは答えた、「主よ、あの人がエルサレムで、どんなにひどい事をあなたの聖徒たちにしたかについては、多くの人たちから聞いています。 そして彼はここでも、御名をとなえる者たちをみな捕縛する権を、祭司長たちから得てきているのです」。 しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。 わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」。 そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。 するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマを受け、 また食事をとって元気を取りもどした。 サウロは、ダマスコにいる弟子たちと共に数日間を過ごしてから、 ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめた。 これを聞いた人たちはみな非常に驚いて言った、「あれは、エルサレムでこの名をとなえる者たちを苦しめた男ではないか。その上ここにやってきたのも、彼らを縛りあげて、祭司長たちのところへひっぱって行くためではなかったか」。 しかし、サウロはますます力が加わり、このイエスがキリストであることを論証して、ダマスコに住むユダヤ人たちを言い伏せた。
使徒行伝 9:3-22 口語訳
サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間に加わろうと努めたが、みんなの者は彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。 ところが、バルナバは彼の世話をして使徒たちのところへ連れて行き、途中で主が彼に現れて語りかけたことや、彼がダマスコでイエスの名を大胆に宣べ伝えた次第を、彼らに説明して聞かせた。 それ以来、彼は使徒たちの仲間に加わり、エルサレムに出入りし、主の名によって大胆に語り、 こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方にわたって平安を保ち、基礎がかたまり、主をおそれ聖霊にはげまされて歩み、次第に信徒の数を増して行った。
使徒行伝 9:26-28, 31 口語訳
その後三年たってから、わたしはケパをたずねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間、滞在した。 しかし、主の兄弟ヤコブ以外には、ほかのどの使徒にも会わなかった。 ここに書いていることは、神のみまえで言うが、決して偽りではない。
ガラテヤ人への手紙 1:18-20 口語訳
~最初パウロ(サウロ)は、人々から恐れられていました。それはしょうがないかもしれません。彼はクリスチャンを迫害していたからです。
しかしキプロス島生まれのユダヤ人のバルナバ(wikipedia)というクリスチャンが、サウロをサポートしてくれました。バルナバがいなければ、パウロは殻にこもっていて、今のキリスト教は変わっていたかもしれません。ちなみにケパとは、イエスの弟子であったペトロのことです。
さて、ステパノのことで起った迫害のために散らされた人々は、ピニケ、クプロ、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者には、だれにも御言を語っていなかった。 ところが、その中に数人のクプロ人とクレネ人がいて、アンテオケに行ってからギリシヤ人にも呼びかけ、主イエスを宣べ伝えていた。 そして、主のみ手が彼らと共にあったため、信じて主に帰依するものの数が多かった。 このうわさがエルサレムにある教会に伝わってきたので、教会はバルナバをアンテオケにつかわした。 彼は、そこに着いて、神のめぐみを見てよろこび、主に対する信仰を揺るがない心で持ちつづけるようにと、みんなの者を励ました。 彼は聖霊と信仰とに満ちた立派な人であったからである。こうして主に加わる人々が、大ぜいになった。 そこでバルナバはサウロを捜しにタルソへ出かけて行き、 彼を見つけたうえ、アンテオケに連れて帰った。ふたりは、まる一年、ともどもに教会で集まりをし、大ぜいの人々を教えた。このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。
使徒行伝 11:19-26 口語訳
~エルサレムで迫害をうけたクリスチャンたちは、地方に逃げていきました。それでユダヤ人だけではなく、ギリシャ人や外国人にもイエスを信じるものがでてきました。
バルナバはサウロを適任だとおもい、サウロを探し、一緒にアンテオケ(wikipedia)につれていきました。アンテオケではじめてイエスを信じる人たちがクリスチャンと呼ばれるようになりました。アンテオケはキリスト教宣教の拠点の町でした。こうして、ユダヤ人以外の外国人にもキリスト教は広く伝わっていきました。
パウロとその一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から身を引いて、エルサレムに帰ってしまった。
使徒行伝 13:13 口語訳
~パウロは、3回世界宣教に出たといわれています。第1回目の宣教旅行では、ヨハネをつれていきました。第一回伝道旅行で移動した距離は、2240キロキロくらいになるそうです。ヨハネとは、マルコ福音書を書いたマルコ(wikipedia)ですが、パンフィリア州にいたとき、一人でエルサレムに帰ってしまいました。
サウロ、またの名はパウロ
使徒行伝 13:9 口語訳
~このあたりから、サウロはパウロとよばれることになりました。サウロはユダヤ名(ヘブライ語)で、パウロはギリシャ語名です。
さて、ある人たちがユダヤから下ってきて、兄弟たちに「あなたがたも、モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない」と、説いていた。 そこで、パウロやバルナバと彼らとの間に、少なからぬ紛糾と争論とが生じたので、パウロ、バルナバそのほか数人の者がエルサレムに上り、使徒たちや長老たちと、この問題について協議することになった。 エルサレムに着くと、彼らは教会と使徒たち、長老たちに迎えられて、神が彼らと共にいてなされたことを、ことごとく報告した。 ところが、パリサイ派から信仰にはいってきた人たちが立って、「異邦人にも割礼を施し、またモーセの律法を守らせるべきである」と主張した。 そこで、使徒たちや長老たちが、この問題について審議するために集まった。
使徒行伝 15:1-2, 4-6 口語訳
~ユダヤ人の男子は割礼という儀式を受けていました。ユダヤ人以外(異邦人と呼ばれていました)のクリスチャンにも割礼を受けるべきかどうかの議論がおきました。これが、教会のはじめての世界会議でエルサレム会議(wikipedia)と呼ばれています。
ヤコブはそれに応じて述べた、「兄弟たちよ、わたしの意見を聞いていただきたい。 そこで、わたしの意見では、異邦人の中から神に帰依している人たちに、わずらいをかけてはいけない。
使徒行伝 15:13, 19 口語訳
~ヤコブは、異邦人をわずらわせてはいけない、と言いました。それは、異邦人たちの信仰を混乱させたり複雑にさせてはいけない、ということだと思います。会議では割礼はうけなくてもクリスチャンになれることが決まりました。
幾日かの後、パウロはバルナバに言った、「さあ、前に主の言葉を伝えたすべての町々にいる兄弟たちを、また訪問して、みんながどうしているかを見てこようではないか」。 そこで、バルナバはマルコというヨハネも一緒に連れて行くつもりでいた。 しかし、パウロは、前にパンフリヤで一行から離れて、働きを共にしなかったような者は、連れて行かないがよいと考えた。 こうして激論が起り、その結果ふたりは互に別れ別れになり、バルナバはマルコを連れてクプロに渡って行き、 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。 そしてパウロは、シリヤ、キリキヤの地方をとおって、諸教会を力づけた。
使徒行伝 15:36-41 口語訳
~バルナバは、マルコも世界宣教に連れていこうと思いました。マルコはバルナバのいとこでした(コロサイ4・10)。しかし、パウロは、一回目の宣教宣教でマルコは途中でエルサレムに帰ってしまったので連れていくことに反対しました。それで意見が分かれてしまい、パウロとバルナバは、別々になってしまいました。
バルナバはマルコと共にキプロス島に行きました。バルナバは弱く失敗したマルコをあきらめることはしませんでした。マルコは成長し、のちにパウロと和解します。
「第二回宣教旅行」では、パウロはシラスと共に小アジアへ行きました。シラスは、エルサレム教会の指導者でした。
ルステラでテモテという弟子と出会います。パウロはテモテを宣教旅行の助手としてつれていくことになります。テモテはのちに、エフェソ教会の司教てなります。
また、ローマ皇帝のユダヤ人追放の勅令でローマからきたアキラとプリスキラ(使徒18・2)の夫婦に出会いました。
また、パウロはフィリピにもいきました。この町は、パウロが伝道した最初のヨーロッパの都市でした。約2年半旅行は続き約4480キロ移動したといわれています。
参考サイト
ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、 ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。 幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、 労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。 なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある。
コリント人への第二の手紙 11:24-28 口語訳
~パウロは、キリスト教の宣教のさいに、様々な迫害にあいました。それでも宣教を続けました。最後は、ローマで殉教したと、伝承で伝わっています。
パウロはアンテオケから、ガラテヤや、フルギア地方をわたり、陸地でエフェソ(使徒19・1~40)にいきます。また、トロアス、フィリピ、コリントにいきます。未信者への伝道ではなく、過去二回の宣教した教会を回り支えるのが主な目的の旅だったかもしれません。第三次伝道旅行の宿泊の中心地はエフェソでした。
・参考サイト
あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。
それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。
決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。
エペソ人への手紙 2:8-9 口語訳
だから、兄弟たちよ、この事を承知しておくがよい。すなわち、
このイエスによる罪のゆるしの福音が、今やあなたがたに宣べ伝えられている。
そして、モーセの律法では義とされることができなかったすべての事についても、
信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのである。
使徒行伝 13:38-39 口語訳
人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。
ガラテヤ人への手紙 2:16 口語訳
~パウロは、元々は律法という宗教の掟を守ることによって神さまに救われると考えていました。しかし、人間の善行ではなく、ただイエスを救い主と信ずる信仰によってだれもが救われる、という信仰に聖霊によって導かれます。人間の行いではなく、神さまの恵みによって救われるという考えは、世界の教会とクリスチャンたちに広く伝わっていきました。
◼️参考サイト
★日本語wikipedia
・義認の教理についての共同宣言
・義認
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E8%AA%8D
★英語wikipedia
Justification (theology)
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Justification_(theology)
Joint Declaration on the Doctrine of Justification
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Joint_Declaration_on_the_Doctrine_of_Justification
Sola fide(信仰のみ)
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Sola_fide
Catechism of the Catholic Church(カトリック教会のカテキズム)
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Catechism_of_the_Catholic_Church
わたしがあなたがたの所に行った時には、弱くかつ恐れ、ひどく不安であった。
コリント人への第一の手紙 2:3 口語訳
~パウロは正直に、自分の心の状態を書いています。なかなか弱さを他人にみせられないのに、パウロは正直だなあ、とおもいました。
マルコを連れて、一緒にきなさい。彼はわたしの務のために役に立つから。
テモテへの第二の手紙 4:11 口語訳
~第二回目の世界宣教で、パウロはマルコをつれていきたくないために、バルナバと意見が別れます。しかしのちに、パウロはマルコと和解したようです。
「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、
そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。
テモテへの手紙一 1:15 新共同訳
~パウロは、「罪人のなかで最たる者」だといいます。パウロ自身、過去にクリスチャンのステファノの殺害に賛成し、なんらかの罪悪感があったと、私は思います。しかし、パウロはそんな罪人を救うためにイエスは来られた、といいます。神さまにゆるせない罪はありません。どんな過去であれ、イエスを救い主と信じるとき、私たちの罪はゆるされるのです。
実際わたしは、神の教会を迫害したのであるから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者である。
コリント人への第一の手紙 15:9 口語訳
~パウロは、コリントの手紙を書いた時点では、使徒たちのなかで一番小さな者であるといいました。この時点では、使徒という神さまから与えられた使命を意識しています。しかし、後にかいたエフェソの手紙では、考え方がかわってきます。
この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。
エフェソの信徒への手紙 3:8 新共同訳
~つまらないとは、聖書協会共同訳では、「最も小さな者」と翻訳されていました。聖なる者とは、クリスチャン全体をさします。クリスチャンの中で、最も小さな者というのです。コリントの手紙よりも、さらに踏み込んだ表現となっています。パウロは高ぶりません。かえって自分を低くし、自分の弱さを自覚しています。じつに謙遜な人でした。
それから彼らは、アジヤで御言を語ることを聖霊に禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤ地方をとおって行った。
使徒行伝 16:6 口語訳
~自分の計画ではなく、神さまの計画を第一にしました。自分の思いどおりにするのではなく、沈黙して、神さまの思いにパウロは耳を傾けていました。
エフェソの信徒への手紙(55年~56年ころ書いた?)
フィリピの信徒への手紙(55年に書いた?)
コロサイの信徒への手紙(55年~56年ころ書いた?)
フィレモンへの手紙(55年~56年ころ書いた?)
の4つの手紙は、パウロが獄中から書いた手紙とされているので、獄中書簡とよばれています(エフェソ3:1、フィリピ1:7、コロサイ4:10、フィレモン9 節)。獄はどこであったかは確定できないが、エフェソ、カイサリア、ローマなどの説があります。
テモテへの手紙一
テモテへの手紙二
テトスへの手紙
の3つはパウロが教会のありかたなどを書いているので、カトリック教会では「司牧書簡」プロテスタント教会では「牧会書簡」とよばれています。3通の手紙は、62年頃書いたと予想されます(参考サイト)。テモテはエフェソの司教で、テトスはクレタの司教でした。
信仰によるまことの子テモテへ。父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして平和があるように。 マケドニア州に出発するときに頼んでおいたように、あなたはエフェソにとどまって、ある人々に命じなさい。異なる教えを説いたり、
テモテへの手紙一 1:2-3 新共同訳
信仰を共にするまことの子テトスへ。父である神とわたしたちの救い主キリスト・イエスからの恵みと平和とがあるように。 あなたをクレタに残してきたのは、わたしが指示しておいたように、残っている仕事を整理し、町ごとに長老たちを立ててもらうためです。
テトスへの手紙 1:4-5 新共同訳
そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。 このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。 ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
コリント人への第二の手紙 12:7-9 口語訳
~パウロが言っている「とげ」とは、なんらかの病気を抱えていたと言われています。しかし、神さまは病気を取り去りませんでした。ときには病気のためにやすむことがあっても、それでも神さまはパウロを愛しました。弱さを愛されたパウロは、また弱さを抱えている人を愛する方でした。パウロは次のように言っています。
信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。
ローマの信徒への手紙 14:1 新共同訳
~宗教はつい強さを求め弱い人を批判してしまいます。しかし、パウロは弱い人を受け入れなさい、と言っています。私たちはお互いに裁きあうためにクリスチャンになったのではなく、支え合うためにクリスチャンになったのです。
わたしの協力者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくとのことです。
フィレモンへの手紙 1:24 新共同訳
キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。
ローマの信徒への手紙 16:3 新共同訳
わたしたちの兄弟で、キリストの福音のために働く神の協力者テモテをそちらに派遣しました。
テサロニケの信徒への手紙一 3:2 新共同訳
テトスについて言えば、彼はわたしの同志であり、あなたがたのために協力する者です。
コリントの信徒への手紙二 8:23 新共同訳
~パウロは、一人の力でなにもかもしませんでした。パウロは協力者と互いに助けあいました。英語の聖書では、パートナー(partner)という言葉が使われています。パウロは、教会に次のように言っています。
高ぶった思いをいだかず、かえって低い者たちと交わるがよい。自分が知者だと思いあがってはならない。
ローマ人への手紙 12:16 口語訳
~パウロは、高ぶってはいけないと言われました。高ぶるとは相手を支配したり、競争して自分のほうが強いと威張ることだと思います。人の価値は他人との競争で決まるものではありません。価値は神さまが決めるものです。一人ひとりは、神さまが大切に創られた最高傑作。すべての人は生きているだけで大切な存在なのです。
また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。
フィリピの信徒への手紙 4:16 新共同訳
~パウロは、「一人でなんでもできる」と思いませんでした。パウロには協力者がいたことを確認したように、パウロは他者のサポートを必要としていました。それは、パウロが「祈ってください」というお願いから、知ることができます。
兄弟たちよ。
わたしたちのためにも、祈ってほしい。
テサロニケ人への第一の手紙 5:25 口語訳
また、わたしが口を開くときに語るべき言葉を賜わり、大胆に福音の奥義を明らかに示しうるように、わたしのためにも祈ってほしい。
エペソ人への手紙 6:19 口語訳
終わりに、兄弟たち、
わたしたちのために祈ってください。
テサロニケの信徒への手紙二 3:1 新共同訳
~パウロの手紙には「祈ってください」という言葉がでてきます。それは、あなたの助けが必要です、と言うことでしょう。パウロは自分には、他者の祈りが必要であると感じていました。「自分のみの力でなんとかなる」とおもいませんでした。
あなたも知っているように、アジア州の人々は皆、わたしから離れ去りました。
その中にはフィゲロとヘルモゲネスがいます。
テモテへの手紙二 1:15 新共同訳
~パウロは、成功だけではなく、辛いこともありました。おそらくクリスチャンになったのに、離れてゆく人もいたのでしょう。パウロにとっては、大きな悲しみであったと思います。
わたしは大きな患難と心の憂いの中から、
多くの涙をもってあなたがたに書きおくった。
コリント人への第二の手紙 2:4 口語訳
~パウロは、泣きながら手紙を書いたこともありました。
知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。
ガラテヤの信徒への手紙 4:13 新共同訳
~パウロは、なんらかの病を抱えていたと言われています。体が弱く感じ体調がよくなかったことがあったのでしょう。しかし神さまは、たとえ弱くても、それを宝物に変えてくださる方です。弱さを通して、イエス様の福音が告げ知らされるきっかけになったのです。
わたしは、あなたの涙をおぼえており、あなたに会って喜びで満たされたいと、切に願っている。
テモテへの第二の手紙 1:4 口語訳
パウロは、テモテ(wikipedia)の涙を覚えていました。テモテは、もしかすると燃え尽きていたかもしれません。指導者ときくと、相手に弱さをみせないで、強い指導者をイメージします。しかし、神さまは涙をながし、弱さに共感できる指導者を求めていたかもしれません。
たとえ、話し振りは素人でも、知識はそうではない。そして、わたしたちはあらゆる点あらゆる面で、このことをあなたがたに示してきました。
コリントの信徒への手紙二 11:6 新共同訳
~パウロは話しぶりは素人だった、と書いてあります。しかし、パウロは様々な町で大胆に福音を宣教しています。しかし、どこかで素人と言われたことがあったのかもしれません。
わたしのことを、「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」と言う者たちがいるからです。
コリントの信徒への手紙二 10:10 新共同訳
~弱々しいと言われたら悲しいですよね。
オックスフォード大学の教授である、N.T.ライト(wikipedia)の「パウロ」によると(参考サイト)
48年「ガラテヤ人への手紙」
50/51年「テサロニケ人への手紙第一、第二」
53年頃「第一コリント」
55年頃「フィリピ人への手紙」
56年「第二コリント」
57年「ローマ書」
と、されていました。書かれた年代は確定ではなく、色々な学説があります。テサロニケの手紙1が最も早く書かれたという学説もあります。
ところが、ケパがアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむかって彼をなじった。 というのは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、彼は異邦人と食を共にしていたのに、彼らがきてからは、割礼の者どもを恐れ、しだいに身を引いて離れて行ったからである。 そして、ほかのユダヤ人たちも彼と共に偽善の行為をし、バルナバまでがそのような偽善に引きずり込まれた。
ガラテヤ人への手紙 2:11-13 口語訳
~ケパとは、ペテロのことです。ペテロは、使徒たちの間で筆頭にあげられるほど、影響力をもっていました。ペテロは、割礼をうける人がくるまでは異邦人(ユダヤ人以外の)の人たちと食事を共にしていました。しかし、ヤコブのもとから来ると、ペテロたちは割礼派の人たちの目を気にして、異邦人から離れていきました。パウロは、「ペテロさん、それっておかしくない?」と思ったのです。偽善の行為とは、俳優が舞台でマスクをかぶって演じることをいいます。それは、自分以外の自分を演じることです。パウロは、ユダヤも異邦人も、みんな神さまにあっては平等な存在と考えていました。
(書籍、使徒パウロの生涯の説明)
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。 不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。 そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。 このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
コリント人への第一の手紙 13:4-7, 13 口語訳
あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。
コリント人への第一の手紙 10:13 口語訳
それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。
ローマ人への手紙 5:3-5 口語訳
互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。
エペソ人への手紙 4:32 口語訳
互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。
コロサイ人への手紙 3:13 口語訳
互に重荷を負い合いなさい。
そうすれば、
あなたがたはキリストの
律法を全うするであろう。
ガラテヤ人への手紙 6:2 口語訳
だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。 わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。
ローマ人への手紙 8:35, 38-39 口語訳
喜ぶ者と共に喜び、
泣く者と共に泣きなさい。
ローマ人への手紙 12:15 口語訳
何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。 そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。 最後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。
ピリピ人への手紙 4:6-8 口語訳
神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。 わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。
コロサイ人への手紙 1:13-14 口語訳
これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、このためでもある。いつも感謝していなさい。 キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして、知恵をつくして互に教えまた訓戒し、詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい。 そして、あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによるとを問わず、いっさい主イエスの名によってなし、彼によって父なる神に感謝しなさい。
コロサイ人への手紙 3:14-17 口語訳
いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい。そうすれば、ひとりびとりに対してどう答えるべきか、わかるであろう。
コロサイ人への手紙 4:6, 口語訳
あなたがたこそ、実にわたしたちのほまれであり、喜びである。
テサロニケ人への第一の手紙 2:20 口語訳
あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。
ピリピ人への手紙 4:4 口語訳
神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。
コリント人への第二の手紙 1:4 口語訳
すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
コリントの信徒への手紙二 12:9 新共同訳
『パウロ 愛と赦しの物語』(公式サイト) という映画があります。私はAmazonからレンタルしてみました。メルカリでも売っていることがあります。パウロや初期クリスチャンたちが、ローマ帝国の迫害のなか、命をかけて福音を伝えてきたことに、とても衝撃を受けました。
Amazonでも300円くらいでレンタルできるので、パウロを知りたい方は、是非ご覧ください(^^)
※キリスト者が迫害されたり、焼かれていたりするシーンがあるので、そのような場面をみたくない方は、おやめになったほうが良いと思います。